ところがからじゃあ朝さんちょっとお願いしましょうか ですぐ中文字に向かう そこで愛の表現として世界の芸術の中に 非類のない 如意輪観音に配せる そしてこの仏像にためらうことなく、日本的特質の表現を見てとる。 本に、ゲメードの、なんだっけ? あ、そうだった、あった、あった。 とは違って、日本的特質を… わつじに確信させるものがあるとすれば、それは一体何か。 それはこの作品については自然と文化のアナロジカルな一致が成立するということです。
とりあえず読んじゃう次も。 これらの最初の文化現象をから。 これらの最初の文化現象を乱すに至った母体は、我が国の父自然であろう。 親しみやすい優雅なそのくせいごいず いずこの自然とも そのくせいずこの自然とも同じくそこ知れぬ神秘をもった我が国 我が島国の自然は人体の姿にあらわせばあの観音となるほかはない 自然によう神な心を 私は日本文化を貫通して流れる 珍しい読書を選んだ その根は何?
あったあった、その根は? あの観音と共にある 共通にこの国土の 国史ですね。 国土だね。 自然自治地に 出ているのである。
すごいですね。 要するに、分かる人がいわゆる今風に言うと擬人化ってやつですよ。 要するに、 和図字はもうこの中宮寺のこのね、皆さんわかります?
繁華四蔵って皆さん文化史で、日本人の人はね、繁華四蔵。 これね、ハンカシーゾっていって これは、本物じゃないけどね あの 足をこうやって組んでちょっと考えてます ロダンの考える人みたいな そういうポーズをとってですね有名な像があるんですよね。 2つあって一つ目がこの 高粒寺のですね みのく菩薩と もう一つがこの 後ろに荒廃を抱えた如意輪観音ですね これは中宮寺の如意輪館。
これもハンカシーなんです。 足を組んでる。 この2つがすごい有名なんですよ どうすかねー この表情を見て このね、中軍時と後隆時のあのー 如意人、あのー繁華四蔵は やっぱ人気が高いのはなんか俺はなんか分かっちゃう、分かるっていうか ぶっちゃけ俺なんか夢の観音そんななんだよね なんか、なんて言ったらいいんだろうな、モナリザに似てるっていうのもちょっとわかるぐらい、 なんていうか、バタ臭いっていうか、バタ臭いって意味わかりましたよね。 バタ臭いね、外国人っぽいね。 なんか、その花って書いてあるんだよね。
なんか、ちょっと言い方が正解みたいな、 あまりにも高い花と、日本人離れした、 ねえ、あとこの、 唇周りの表現とかもさ、わかります? ちょっとエグい方面じゃないですか なんかね、ここだけ見るとどことのドM芸人とほとんど変わらないみたいな だからちょっとなんかねぇ どう? 皆さんここだけ見たらおっさんだと思うんだよね うらやす鉄筋家族みたいじゃん、ここにあると なんで ちょっと個人的にはそんななんじゃない?
しかもこれさ、古い像で、木造だからちょっと荒れてるじゃないですか この辺ヒゲっぽくないですか? なんかちょっと 汚いホームレスみたいな感じがして、評価が高いのはすごいわかるんだけど、あんまりピンとこないといえば、俺もピンとこないです。 対して、チューブじゃ保存状態がもちろん良いっていうのもあるし、質感とか描写が違うってもちろんあるんだけど、 こっちの方がね、俺は好きだし、スッと入ってくる感じがするんだよね。
まず顔がちょっとやっぱりちょっとあれじゃないですか、優しいじゃないですか、あっちに比べれば。 このミッキーマウスの頭に、ちなみに忠宮寺と光竜寺の見分け方って、忠宮寺の繁華シーズンを頭に忠がぶっ刺さってると思うんですよ。 光竜寺の繁華シーズンは頭がこんなに上がってるでしょ。 だから光竜寺でこう光竜寺ですよ。 っていうしょうもない覚え方があるんですけど、まあそう言っといて。
同じ仏像でも表情に感受するものとはちょっと違うと それは何かっていうと 自然と文化のアナロジカルな一致であると アナロジカルって類比って意味ですけど アナロジー。 要するに、似てるってことですよ。 類比的ってことです。
つまり、こういう自然だったら、こういう文化が生まれるよねっていう。 絶対この子のやつじゃん、わかるーっていうやつですよ。 だから、言ってみれば分かるかな?
この文化現象を生み出すに至った母体が、優しい自然だと。 愛らしい、たしみやすい、優雅な、そのくせい、いずこの線とも同じく、底知れぬ神秘を持った、我が島国の自然。 が、文化として擬人化されると、あの観音になる。
すごいですね、この日本の自然に対する表現ね。 これもどうかなと思いますけどね、このクソ厚い三重なんていうとさ、どこが優しい自然やと思うかもしれないけど、 まあ、そうなんだろうな。 でも外国と比べるっていう話でもないから、ここはちょっと難しいところではあるんだけどね。
またこれ、後々の話に絡んでくるんだけど。 自然に酔う甘美な心持ちは日本文化を貫通したから逸人特徴 自然というものに対してすごく優しい印象、自然というものを厳しい、怖いものとして扱わない 日本文化を貫通して流れていると言っています それは日本の自然というもの この国の自然自身から現れて 観音として現れている つまりこの観音を見て この如意輪観音を見て 日本の自然が後ろ側に見えるということです 類比的な背景、例えばわかりますかね? 隣のトトロなんかわかりやすいですよね。
トトロとトトロの森ってワンセットですよね。 あれわかりやすくないですかね? 以前からは、こんなのが生まれそうっていう ちょっと怖いの映ってますけど、これは違うでしょ?
www いや、違う違う違う、そういうことじゃない そういうことじゃない あーそうそう、こういう感じ、わかります この森にはこんなのいるよねーみたいな 自然の感じと 自然のカーレーがいるんだったらトトロとか あとなんだろうな自然と分この自然からはこういった文化が生まれる ゴロポック まあだいぶまあ妖怪とかもそうかな 例えば妖怪って時にさ、日本の妖怪っているじゃないですか、こういうね このなんか日本から生まれそうだなみたいな妖怪もいれば、これはなんかちょっと日本ぽくないぞみたいな、外国から来たのかなみたいな とかいろいろありますよね 例えば向こうのゴブリンみたいなやつは日本の森から生まれそうにないじゃないですか。 でもドイツの森、わかります? ドイツのシバルツバルトって言うんですけど、 すごい暗くて霧深いですね。 なんかもう魔女とかいそうな森があるんですよ。 魔女とかを想像するような森。
こいつにはこういう自然からはこういったものが生まれそうだっていうですねそういう感覚 わかんないね、ごめんちょっと ジプリばっかりになっちゃうんだけど 物凪姫にこだまってないんだよね これね こういう感じ ここにいるんですよ 例えばこだまなんかもそうなんだけど トトロって親しみやすいじゃないですか なんだけどあれってトトロの森ってのは人工林なんですよ 人が手を入れた雑木林なのね 対してこのモルノギヒメラに出てくる森っていうのはほぼジャングル いわゆる未開の 自然林って人間が住めるようなところじゃないのよ そこにいる妖精たちっていうのは トトロとはやっぱり段違いキモい 君とはお友達にはなれないかなーみたいな 君とはちょっとこっちにないでーみたいな感じになる 子供も可愛いっちゃ可愛いんだけどね トトロの可愛いとまた違うわけですよ この子玉たちが子玉たちたちのゆえんはやっぱり背景ですよね。 この後ろにこの未開の森 明らかにその植生が日本のやつとは違うジャングルっぽい森があるとやっぱり子玉は子玉なんですね 逆にトトロもジャングルの中に持って行ったらトトロじゃないわけですよ この自然とそこから生まれいずるキャラクターとかそこからそこにいる何か文化みたいなものが一致している感覚 これがアナロジカル トトロとトトロの森 ししがみの森とこだま そういうような類似っていうことです。 そこに日本の自然とこのヨイリンカムンというのを、 わつじわは見たということですね。
さあ、みんなはどう思うのかね、これね。 難しいですが。 じゃあ、かねさん、おそらくわつじわからいきましょうか。 ほら9月時はやがて風土的な自己了解の型と呼ぶことになるものの原型をここに見出している ところで風土の型は単純な自己理解としては成立せず 自己と他者とが対となる非関係を通じてどこまでも仮説的な に構成される しかしこの時代の松治は今だ他の 風土を現実には経験していない 彼の直感する国土の自然とは 1ナルシズム的な自己創の投影として の自然である ナルシシズム えー的な自己存在の投影としての自然だとすべて それは確かに一種の自己了解である 様々な不幸によって 徘徊された風土的自覚であることは 生じ それに同じご言及を伴っていない 皆さんこれ意味わかりますか 和辻っていうのはこの後フードっていう有名な本があって その中でいろんな国の自然と文化の関係を いくつかのパターンに分けるんですよ 日本の自然のことをモンスン型っていうのよ モンスン型 あとは砂漠でいろんな型があって 3つぐらいあって その中の日本はモンスン型と言われている方に分類するというのが、ワツジの考え方なんだけど、 でもこの文章を書いた時に、ワツジはまだ他の国の自然というものをちゃんと見てないんだよ。 よって、他の国との類比関係じゃないんですよ。
つまり自己と他者とが対となる類比関係っていうのがあって仮説が立っていくってことですね 日本の自然に比べてこのあのどことこの自然に比べると日本の自然は優しいからとかそういう 相手によって自分が決まるみたいなことです 君たちはこういうの絶対ありますよ。 自己と他者によって、その類比によってですね、自己理解が決まるっていう。 例えば自分よりも圧倒的に学力の低いことを一緒に言う時っていうのは、君たちが賢いお兄さんとかお姉さんなのですよね。 これわかんないので教えてあげるよ。
それは相手と他者との比較が作り出した仮説に基づいて自己理解を作っているわけですよ 私が教えてあげないといけないなって でもひとたび相手が変わればこの大学行ってね とかになってくると、逆転して自分が教えを乞う立場。 そしたらその時は自分は生徒、学び手として、一種謙虚な存在として 自分自身というものを、この先生の場合においては もうねはっきり言ったら知識なんか全然足りてない ただのなんか 賄賞な学徒であると だから謙虚に勉強しないといけないなっていうような 自己理解なんです だからその自分自身が どういう人間であるかっていう自己理解 自分自身がどういうものであるかっていう 自己理解っていうのは多く類比関係の中で 仮説的に構成されるわけ だから仮説ってことは変わるってことです 変わっちゃう時もあるよね。 例えばずっと今まで自分が上で教えさとしていたのが、久しぶりに会ったらその仮説が崩れちゃう時もあるわけですよ。
すごい立派になって、むしろ俺の方が全然成長しなくて、てんてんてんみたいな。 だからそういう、そもそも自己理解が変わっちゃうんだよね。 俺ってどうなんだろうみたいな。 そういうような類比関係における自己理解なんだけど、 このね今回の話で言ってるね、ワツジのこの話っていうのは、まだワツジは他の国と日本比較してないのよ。 だから、彼の直感する国土の自然っていうのは何かっていうとナルシシズムだと思う。
ナルシシゼロ的な自己その投影としての自分。 要するにこういうのが、こういう自分が好きみたいな。 わかりますか?
色って変えるんだとすると 自己と他者とが対になる類比関係 これはさ、いわゆるさっき言った友達との関係とか、 ああいう人の関係を通じて自分はどういう人間なんだと思うという仮説的なあれですよ。 変わりうるんだけど、 筆者が言って、この和辻の言うやつっていうのは他者と比較してどうこうなるものじゃないですよね。 ナルシズム的な自己像の投影 こういう自分が好き キルシもあるでしょ 自分のこういうところが好き そんなのは恥ずかしくて言えないと思うかもしれない ないとないで問題ですよ 自己愛が足りてないですからね こうやってる時の俺は だからこうは何だこうはありたいとかこうあるべきとかこういうのがいいんだみたいなのを 自分の中に見つけて勝手にうっとりしてるみたいなポイントですよ 絶対あるんだよね そういうようなそういう点そういうような自己像なんですね だから他人からすると関係ないわけ人と比較とかじゃないんですよ 様々な風土によって媒介された風土的自覚ってのは、日本ってこういうところだよなっていうのを、わかります?
他の国との比較で捉えているということです。 他の国との比較によって、日本ってこういう気質があるよねーみたいな。 でもさ、皆さんも、あの皆さん自身もそういう面もしかしたらあるかもしれないし、やっぱり典型的な日本人によくありがちだけどさ、 大してその海外の経験がなかったりするのに、なんかすごく日本を語る人っているじゃないですか。 わかる?
その、日本人は真面目だからとか、まあそういうやつよ。 日本人っていうのは礼儀正しくて。 まあもちろんそういう意味あるかもしれないけど、そのね、できたらしい日本と比べて無礼な外国人っていうのをどれほど見てるのかって話ですよね。
まあ環境客、要するに日本に来た観光客が、外国人観光客が日本の文化を無視した無礼な振る舞いをしているのを見て、やっぱ外国人は無礼だみたいな。 その他のね日本じゃって昔海外旅行です海外旅行酒でいろいろ無茶してすごい評判あるか とみたいな時期ありますから同じ方の無地裸なんですけどね ただ、そういうのって比較になってないんですよね。 きちんとした類比に基づいた日本ってこういう国だなっていう ような視点じゃなくて、なんかね、その 大した経験とか知覚に基づいてない日本像っていうのは、だいたいこのナルシステム的な自己像の投影だったじゃないですか。
昔から日本人ってのは真面目だったんだとか。 こういうのを大切にしてるんだよみたいな 上下関係がどの頃も いろいろあるじゃないですかそういうのね そういう自分が好きなだけなのよ そういう自分が好きなだけで それを日本という 主語全体に 主語を日本人にしちゃってる 日本という国全体にしちゃってるだけの話 これをナルシス的な 自己像の投影って言います こうあるといいなとか こういうふうにあるのはこれこういうふうにある俺かっこいい そういう そういうような意識がそのまま被害化して日本全体になっている そんなイメージです何かと比較してるわけじゃないんですよ 客観的な結論として言ってるわけじゃないですよ そういうことをここでは言っているわけだね どうなのかちょっといろいろ 繰り返し説明してみたけども ちょっと時間をあげますので、問2番。 空欄1に入る言葉として最も適当なやつ。 ちょっと皆さん時間をあげます。
ちょっと選びましょうか。 じゃあ聞きましょうかね。 小川くん。 ちょっと選んだやつと、その理由というか、根拠みたいなものをちょっと見よう。 教えてくれると嬉しいね ゆうがだからめっちゃ4と5で迷ってて ちなみに正解入ってますよ ゆうがから結局4にしたんですけど 今見てたらやっぱ5じゃないかなと思って あーなるほど どっちいきます?
ファイナルアンサー こういうね、皆さんこういうことあるじゃないですか。 入試本番というか試験で最初パッとこれ選んだけど、その後こっちも正解な気がするみたいな場面ね。 そういう時にどう思考するかっていうのが結構大事なんですよ。 お願いします。
じゃあちょっと、 そうですね、他のやつを切っていきましょうか。 えーっと、まず3番の二律背反とかも意味わかんないんで、これやめましょうね。 二律背反っていうのは、矛盾とほぼ同じ意味です。
矛盾。 えー、要するに、あのー、 相反する2つのルールみたいなものを抱えた状態ってことですよね 二律背反 二律背反は例えば なんだろうな 体重はそのままでパンチ力を強くとかね 僕は二律背反なんですよね パンチ力を重くしたかったら体重を増やすのが一番ですから そういうような矛盾した要求みたいなのをいつか出します なんでもそのままは絶対違いますね えーっと、今回、直接無媒介っていう言葉が3カ所に出てきてるんですけど 直接無媒介ってこれどういう意味で使ってます? わが名 いやいやいや 直接 うん 繋いでない 直接関わってない 直接関わってない ねえ そもそも媒介ってなんですか 媒介って うん 何かと何かを繋ぐ 素晴らしい 素晴らしいですよ 媒介するっていうのは 何かと何かを繋ぐってことですよね つまり まず 自分がいて ここに 自分の 意識みたいなことをしますよね ペンの判断が悪い。 一回、嫌な予感するから一回切って。
認識があって、 で、媒介して、 媒介すると逆に、一回何かと何かが繋がれるんですよ。 一つは風土的自覚ですよね。 ここに何が来るかっていうと他の土地との比較ですよ こういった 様々な風土、他社 他者がいることによって 風土的自覚というものが導く これが媒介です つまり風土的自覚 要するに日本はこういう国だ 他者とか日本はこういう特徴があるんだ というのが他の国との比較を通じて 獲得されているということです わかりますかね 皆さん自分の容姿をどう思いますか?
すげー嫌な質問してるけど 自分の容姿をどう思いますか? って言った時に これすごい難しい問題なんですよ 一つ目はまず他者との比較を通じた自覚ですよね 自分は他の人に比べて容姿は劣っているっていう もしくは優れているっていう比較の問題があるわけ これはね媒介的に自覚を手に入れてるんだよね でもそれとは無媒介ってことは 比較を経ないってことでしょ これが無媒介なんですよ 媒介するってことは他者が必ずいるってことだよね 他国でもいいですよね。 あえて青で塗っちゃいますけど。
青で塗りつぶしたところね。 これ、他社っていうものが一切入りこない。 これが無媒介的ってことです。 何も返さないですよ何の他者も返さないで 直接無媒介無媒介とか直接なんでまぁまあ 2点はすごいトートロジーなんですけどあの 何にも返さないで無自覚なのですよ今 そのまんま風土的自覚にたどり着いている なんでって話なんですよ なんで比較もしないで 比較もしないで 風土的自覚みたいなものが 獲得しようの それは 自らの意識の中に こういう 俺かっこいいっていう なんか 自己像があるんですよね えーと、なんだろ、書くの難しいな 自分で思う自分っていうのがいるんですよ 自分で思う自分っていう これがそのまんま ここに移ってきちゃってるの、わかります? 自分…なんて言ったらいいかな 鏡みたいなのがあって そこに…要するに自己像が映ってるわけですよ 自分自身がね 他との意識を一切鏡に映った自分というのは他との 鏡に映るというか自分が思う自分っていうのは他者との比較を一切経てない自分なので 極めて美化されるんですよ 言ってしまう 俺が思う俺なんですよ 俺が思える俺なんですよ 私が思えるのは私なんですよ 極めて理想化されているし美化されているし美しいものなんですよ それが普通他者との比較を経て検討されるわけですよ あ、俺そんなイケてないなとか あ、俺頭そんな良くないわとか あ、私もしかしたら可愛くないかもしれないとか 何でもいい そういうような他者を経ては 他者を経ると客観的な自覚みたいなのに至るんですけど それを持たずにそのまんま 私可愛いとか 俺かっこいい 感じで風土的自覚を持つ だから筆者は直感って呼んでる 直接に監督してる これが 自分が持ってる 理想像みたいなのが 何の批判も検討もされることのない そのまんま自覚になっちゃってる 日本人はさ、礼儀正しいんだよって言ってる時のその人は、自分のことを自分で礼儀正しいと思ってるし、そんな自分が好きなのよ。
そしてもうこの説明でなんとなく分かったけど、岡田くんには悲しいお知らせで、これ4番の正解です。 他の比較を経ていない直接無媒体な自然っていうのが、この1に入る。 同じでしょこれ。
ナルシステム的な自構造の投影ってのは。 要するに他と比較してないってことなんぞ。 赤なんだよね。 5番何が違うのって書いてある。
無媒介に実証って書いてあるでしょ。 実証って、こっち側の色よ。 わかる?
無媒介に実証はできないですよ。 実証ってのは必ず他者と比較によって実証されるんですから。 なので5番は、自己完結的な直感、無媒介にもかかわらず実証ってのはあり得ないです。
だからこれは選択肢自体が実は矛盾しているという選択肢です。 1番2番ね、真理を暗示とか 関係を重視して、この辺はちょっとよくわかんないですね これはもう無倍感で意味が全然わかってないんで 1番2番は論外として 最終的にはやっぱり4番を選んでほしいといったところですね