よし、じゃあめいとくん13の案内を読んでもらっていいかな それにあまり私だなどとは思わない方が楽といえば楽なのですね 現実には子にもパートナーにも不満があるでしょう もっといい 家に引っ越したいとも思うでしょう そういう理想とかけ離れた現実は 私ではないとして 私から切り離して考えられる 考えられるところが 重視的 私 使う 周りも私だなどと言ってしまえば私という現実はずいぶんと 食れたものになってしまいます 牛指摘私かん 理想主義なのです メダルがこれどう思いますこの流石に捉えた方がぶっちゃけ楽みたいな話 これは本当の俺じゃない ちょっと楽です 楽だよねー もしミスったらさ いやこれは いやこれはちょっと本気出してない 本当の俺じゃないみたいな これ極めて楽だよね でもちょこちょこ使ってあげた方がいいかもしれない 全ての結果を全て100%さ 全身で受け止めたらさ 結構めったら崩壊しませんこれ そうです結構やみそう そうだよね まだ星3もすぐに解けない自分とかさ やばいじゃん、そんなんって言ったら。 いや、これはちょっと違う。 今日は頭痛で調子が良かったみたいな。
言い訳してあげ た方が継続性が高まるからな、結局ね。 これは流出的事故も悪いことはないんだよね。 なるほどな。
流出的事故は逃げなんだから、要するにな。 これはちょっと面白い。 14-7で続けて。 結局 私とは概念としての私だと思うのですね そもそも 粒子とは概念 かっこいい イデア です 概念とは理想のものとして 頭に描いたものです となるとどうしても どうしても私がなりたいと思うものを 私だと思い込みたくなります そしてそういう理想の私が実現していない現実は 私が悪いわけではなく周りが悪いのだと 周りに責任を押し付けてしまいます 周りのことに対して責任になりがちで 生物多様性をはじめとした環境問題に責任を持って取り組む姿勢が生まれにくくなるでしょう ここが粒子的私観の問題点の一つです 人のせいにしやすいというのはメリットデメリットだよね 自らのメンタルを守ることができるということは できるかもしれないけど長い目で見た時 に不倫これは正しく私たち今出した勉強の 例なんかまさしくいいだと思います なので 共同体として生きていく上ではちょっと 不便だよねって話 つまりですねまぁ筆者がやっぱりあるよね ここで アップルペットの反応者 99%あるので そんなわけはないんだけど ちょっと待ってね 最近ね ちょっとやっぱりアップルペンが また不調になってきてるんだよね 使いまくってるからしょうがないんだけどさ やっぱ消耗品だよな いやーちょっと困ったな これちょっと待って あ、すいません えーっと まーた はい、ということで、結局粒子的私観っていうのはどういったものかっていうと、 まあ、理想主義だって言ってるんだよね。
現実じゃないって言ってるんだよ。 反現実だって言ってる。 これずっとやってきてるね。 宮田くん、現実の大義語3つ。 他にも 理想と現実 虚構と現実 夢と現実かな 戦後社会はこれで説明することができるから すごく便利だぞっていう話をしてるね 今僕らは虚構の時代の果てにいると 日本は例えば戦後社会において最初に立候補目指したんだ アメリカに今までの国家の枠組みは全部否定されて だったら一から作り直してやるっていう革命思想に燃えた人たちがいた でもその革命思想は全て現実の政権に全て潰されてしまい かつ高度経済成長の結果みんなそんなものはもとなり 二層なんかどうでもよくなってしまったんだね 現実がすごく豊かになった そこで、じゃあ現実の先に夢を見ようぜっつって。
空飛ぶチューブの中、ふわふわ浮かぶ車が飛んでますよ、みたいな。 そういうね、夢の時代みたいな。 いつかバイホームを持つぞみたいな 今度はこの豊かな現実がバブル崩壊だとか高度経済成長のおしまいっていうところで 今度は現実が縮小を始める そうするとこの夢を支えられなくなって夢の力って終わった じゃあその縮小していく現実に対抗するには何が必要かというと 虚構的なコンテンツによって僕らはそれを満たしたわけだ 特に日本人は虚構的コンテンツで現実の穴埋めをするのはとても上手だ なんだよね 例えば よく言われてるのが 話すと完全にそれるんだけど 今シンウルトラマンやってますよね その前にシンゴジラがありました 例えばシンウルトラマンにしろ シンゴジラにしろさ 例えばね普通だったらさ 暴力描写って 映画とかドラマとか何でもいいんだけど そういったものにおける暴力描写っていうのは 軍隊が担うんです アメリカ見てください アメリカの映画どうですか アメリカ軍が銃をぶっぱなし ミサイルをぶっぱなし 大砲ぶっぱなし 建物がどなどなに吹き飛ぶ 暴力描写に関して彼らはあれじゃないですか 遠慮がないじゃないですか ゲームとかもそうですよね グロいゲームとかものすごく迷いなく作る だから暴力描写に関して、もう何ていうかな、 何も後ろめたい部分がないんだよね。 対して日本っていうのは、もうなんかその暴力を振るうもの、例えば日本だったら、昔軍隊とか天皇とかを 父親とかそういったも全部奪われてしまう 僅かっていうと日本は戦後の現実を生きるためにどういう物語を生きたかというと要するに 戦前で戦前に起こった悪いことは全部軍隊のせいだってことにしたんですよ そんなことないんだけど 全部軍隊が悪いだと天皇は騙されてるだけだと 軍隊が一番悪いんだって言って 東中秘的とかある辺丸ごと全員首で公式にして 吊るしてぶっ殺して いやー軍隊ってやっぱ悪者だねみたいな 清純な僕たち騙されてましたわみたいな じゃあさあ平和で民主主義な戦後日本が始まるよ みたいな感じでスタートしたわけですよ その次で何が発生したかというと 暴力を振るう集団っていうのが 描写できないから なぜかというとそのコンセプトに反するから 軍隊が活躍する映画って作れなくなっちゃった その代わりどうしたかというと、軍隊でドンパッチができないから よしじゃあゴジラで破壊しよう 怪獣が暴れる分には問題ないし、って怪獣を暴れさせたり どうしようかーみたいなね 例えば怪獣が襲ってきたら、怪獣を倒さなくちゃいけないじゃないですか 怪獣に対抗するためには自衛隊が手が引きかける 自衛隊が活躍したら問題ないんですよ 活躍しなきゃいけないんですよ自衛隊が どっちかっていうとか細い弱々しい軍隊じゃなきゃいけないからね そんなどうしようかなーって言うと そうだウルトラマンにしようみたいな 在日米軍だとプライドが許さないので 在日米軍のヒールとしてはウルトラマン 弱々しい軍隊としてのヒールとしての科学特捜隊みたいなのを設定して そうすることで極厚的なコンテンツで埋めていったんですよ 軍隊的な歴史でいうとね、戦艦どうしてかトンパチ撃ち合うみたいなのが書けないと。 だったら宇宙戦艦ヤマトだみたいなね。
どうしようかな、このね、太平洋戦争の物語は書けない。 よし、ガンダムだ。 明らかに第二次世界大戦の比喩が散りばめられた。 物語、虚構的なものによって僕らは現実を補完する時代っていうのを長らく過ごしてきた。
そこで生まれたのが、例えばオタクであったりとか、オウム神理教はじめとする信仰宗教だったりしたわけだ。 それらも一周して僕らは今その先にいるっていう感じだった。 虚構的なコンテンツで現実を埋め合わせするっていうのが 最初は感覚としてつかみづらいと思うんだけど そのうちに分かってくる いろんなね、食わず嫌いせずにね、アメリカとかでいろんな国の映画とかばんばんたくさん見てほしいんだよね 暴力描写ってことに関してやっぱりさ、どうしても日本人はね、なんかこう腰が冷えちゃうんだよね。 だってさ、伊予島からの手紙ですらさ、あれだぜ、だってアメリカ人が撮ったんだよ。 皆さん知ってます?
伊予島の手紙みたいなのを、ニノが撮ったやつね。 今度また話しますけども、その話は。 ということで まあまあそれちょっとしあのそれはまた花まあ別な話なんですよ なのでその辺を知っておくといいかなという よし、ということで、現実、理想、夢、虚構と。
次回はこの辺の話もね、できるような話にしようかな。 よし、じゃあ続けていきましょうか。 粒子的事故って理想性なんだぞって言ってるんですね。 で、記者が言ってる。
粒子的な私とは概念なんだと。 現実じゃねえよって言ってる。 こうあったらいいなって言う私。
そもそも粒子とはイデアですって書いてね イデア英語で書きましょう イデアですね idea さて似た ような エータのidea はい宮田くんこれ何で書いてる? idea 理想 理想ですね そうアイデアとは理想なんですよ アイディア考え僕ら考えアイディアなんか思いつきました考えてもそれは理想の考えですね こうやったらいいんじゃないかなこれは理想なんですよ このアイディアっていうのは元々ギリシャ語のイディアっていうものが来ていてそのイディアっていうのは概念 ところ来てるんですね 概念というのは理想のものとして頭に描いたもの まあ一言で言えば抽象的なものですよって言ってる 現実には存在しないんだよね いわゆる白馬の王子様みたいなもんね そんなもんいねえぞってやつ で そしてそういう理想の私が実現しての現実を私は悪いけど、我が悪いんだと。 周りに責任を押し付けてしまいます。 まさしく白馬の王子様とかあの辺はそうだよね。 周りのことに対して無責任になりがちで、政府を伝え寄せ始めとした環境まで責任を取る云々かんなんと。
これが流石医師官の問題です 責任を周りに押し付けがちっていうところですよね よくほら 広域か何か今期逃した女性 30いくつかの女性に対して 暴言みたいなの入ってたんだけどな もう少し自分の価値を考えた方がいいみたいな そんな白馬の大きさの中に来ないぞみたいなことを言ってたんだけど まさしくそういうことで言ってることとしては 本当の自分とか流子的な私観で言うと どうしても現実ばかりしたことばっかり考えてると それが悪いわけじゃないんだけどちょっとね 責任感とか環境問題だと問題が発生しがちだよねっていう結論に至っている 無責任になりがちだと 15段落から返すのですか? 粒子的な私においては? 粒子的な私においては自分自身は変わらない つまり一様なものですから 一様性に価値を置き、多様性の価値は低くなってしまいます。
もちろん、粒子的私も多様性を口にはしますが、 そこでは自分に役立つもののメニューの多様さだけが、 今みんな対象となります。 ここも極めて問題なのですね。 例えば、多様性という言葉ね、また出てきましたね。 ダイバーシティと、 ユニバーシティですね 問題ってのがあって 流出的な事故って、近代ずっとそうでしたけども 事故の統一性っていうのが問題になってくるわけですよ 変わらない事故っていうのがね これはずっと言ってるように、文人の時と一緒だよね 多様である自分自身が多様であるっていうこと 他人の多様性もそうなんだけど 社会における多様性もそうなんだけど 個人内における多様性の価値も低くなる もちろん私も多様性を口にする 理事的事項も多様性が大事って言うんだけど それは 多様性っていうよりかは自分自身とは変わらなくて それに役立つ かつメニューの多様さだからスキル みたいな感じかな メニューの多様さだけが興味の 対象になります 要するに今の自分に受け入れられる ようなスキルってことよ 一様性に変化は訪れないってこと だよね さっきの動的並行の言葉を借りる と自分を壊すという発想がない ってこと はい はい これは結構刺さることだね 勉強に関しては何でもそうだけど 自分がうまくいってない時とか 何かを変えたいな 何かを改善したいなと思った時は 自分を壊すっていうイメージを持たないと 結局うまくいかない 今の自分に受け入れられるものだけで やろうとするとね ダメなんだよね 自分を じゃあその自分を壊すと言ってじゃあ全てを否定してできるかってできないっていうのはもうすごく難しいところでバランスなんだよな それこそあの新陳代謝の図のように少しずつ入れ替えていくしかないんですよ そういうふうに僕だったらこれ言い換えますね 難しいんだよね、例えばさ、私こういう人間だからできないですよって言う人がいたとして 結構私からすると、ん? 本当にそうか、やったことないだけじゃねえとか 食わずにいけないだけじゃねえとか思ったりするわけよ やってみてできなかったのよさってわかるけどね 思い込みである可能性がすごく高くて、実際やってみたらどうなのかなっていうところだよね。
しかもやってみて、ちょっとさ、2、3ヶ月試し続けなくちゃいけないわけよ、そういうのって。 つーかどうか観察するためにね。 だからやっぱりそこにも至らずに、やっぱりその、なんていうかな、自分に役立つものだけのメニューを取ろうとすると結局うまくいかないっていう。 かつ、すごいそのなんていうかなぁ、理想主義すぎて、すごい成功した人の勉強法みたいなのを全部自分の中に丸コピしてやろうとすると、うまくいかないっていう。
自分は壊していくんだけど、自分はあるのよ。 動的並行の中でね。 そこがやっぱりバランスとして難しいなっていうふうに思いますね。
ちょっと今私勉強の話としてずっと書いていますけどこの手の文章っていうのはとにかく 自分のこととしてそれこそ引き受けながら読まないとですね絶対につかめない 常に例えば自分は例えば自分はっていう風に考えるように解く癖をつけましょう ん 動的並行もクソもヘタクもねえだろうが にゃーにゃー言って 鰹節を食べて 手洗いだってお前、エントロピー増大の法則にのっとって 汚くなってくの俺が掲示してるのよ はい、はい、はい、はい この手つぶして勘弁してください はい、はい、よろしく はい、皆さんごめんなさい ということですね よし、じゃあちょっと 説明を取っちゃいますか 問いなら問いはじですね さて、問いの7番ですね みなさん、問いの7番 ちょっと読んでもらっていいかな 防線ブロック 流石は確かは理想主義なのですとあるが どのような意味か 最適なものを次の中から選ぶべきか 理想主義 まあ そうかね 現実の自分っていうもの を見ないってことでね 理想主義って言うのがこうあったらいいなって まあ、でも選択肢見るとね、なんかこれちょっとあれだな、どっちかっていうと消去法でやった方が良さそうだな。 見ていきましょうか、じゃあね。 じゃあ、あから読んでもらいましょう。
ちょっとあから、じゃあ金さんちょっと、あ読んでもらっていい? 有志的私かなとは、私を実際には存在しないものと信じることにより、仏のような理想的な存在になることを目指す主義であるということ。 まあ本当に論外、何で仏とか、何を言い出したんだって。
論外すぎてさよならって。 TP 粒子的私観とは、私を他からの影響を受けても揺るぎない答えだと認識し、理想的な生き方を追求すべきだと主張する主義であるということ。 まず他からから影響を受けちゃってる人、これ粒子主義じゃないよね。 どうぞ。
有識私君とは、私という存在が神によって作られたものではないか。 もうストップですね。 神によって作られたもの。 神とか仏とかでこういうものになるのかな。
ナメです。 はい、論外。 はい次Aどうぞ 粒子的オタクシカルとは他から影響を受けない存在として 都合の悪いものを排除し 自分のためだけに理想的な私を追求しようとする主義であるということ そうなのね。
この都合の悪いものは排除っていうのが丸だな。 自分にとって都合のいいものしか見ないっていうのがある。 まあこれ正解だろうね。
ちょっと一応本を読みましょうか。 粒子的私観とは、私という存在が不滅、不変なものであるかどうかにかかわらず、 生物として合理的、理想的に作られていると認識しようとする主義であるということ。 何て書かないんですかね。 関わらず罰 ね 論外3つに いかえかでえって感じかな だから選択肢がなくだね 本部に戻る価値すらない こういう問題は 本番の入試では 一瞬で解きたいですよね あまり迷いたくない じゃあトラジオもいっちゃいましょうか どうぞ 今度は宮田君にお願いします 粒子的私も多様性を口にしますとありますが それに対して筆者の必要とする多様性はどのようなものかと 最適なものを選びにしたいということですね 私というものを環境として捉えようねという話を筆者はしているわけですよ そうすると環境だってそうですとか 私自身の中にいろんなものを、多様なものっても作っていく必要があるっていうことは、外もそうだよって話だよね。
なるほど。 生物多様性を担保するってことは、自分の外界、環境の多様性を担保する。 外界が多様的であれば自分も多様的でありますよと。 なんだけど、粒子的事故の多様性ってのは、 自分を壊すという発想がないので どうしても自分自身の中に 外から何かを取り入れるという発想がない ということですよね 逆に被写は外から取り入れる必要がありますよ ということを言っているんだ それを前提にして トレーナー8でもいきましょうか あ、宮田美穂の動画 私が 私が個性を発揮することで、周辺に生み出されていく現象の多様性が 個性とかヤバいよね。 何言い出したのか はい次、どうぞ 私という存在を維持するために必要な 答えの外界に存在する要素の多様性 うん これはもうあれだよね ぶっちゃけ動的並行のあの絵 あの動画をちょっと想像すると分かるじゃないですか 本来はああじゃないといけないって言ってる ちょっとうをいきましょうか 私を無我として認識した時に はい、バーツさん何を考えているのか もういいですか?
無我とかね、ちょっと泣いてるんだったら 時折なんかわけわかんないね 仏教用語で言ってますよね 悟れみたいな Aいきましょう、どうぞ 私の存在が危機に陥った時に いいことを話してる いいことを話してる ああ、ごめんなさい 私が生きていく楽しみを作り出すものとして 私の身近にあってほしい うん だからこれはあれだよね 取り入れるっていう発想がないから バツだよね どうぞ 私の存在が危機に陥った時に 様々な角度から 助けてくれることを期待できるようになっています 様々な角度から 助けてくれるとか 私が生きていく楽しみとかですね これも全部そうなんだけど 自分を壊すという発想がないんですよ エントロピー増大に対抗して、自分を壊す。 常に壊し、何かを取り入れ分解合成していく。 自分を壊す。
分解し合成する。 そういう発想がない。 自分を壊す だからこの もうダメだって で あと は論が 良いと いうことになるわけですね それではラストいきましょうか仏教ではというところから カレンさん読んでもらいましょう最後の1段落ですね 仏教では私があるのならそれは私の思い通りになるはずのものだし またずっと私と共にあるはずだ でも現実には自分自身は自分の思い通りに振る舞えないし 死んでしまうのだからずっと共にあることもない だからそもそも私などというものはなく 私と頭が作り出した妄想なのだと うん 御説 御説御末末ですっていうのは 確かにあなたのおっしゃる通りですよみたいな ちょっとほどけていった言い方だね 説をごめんなさい しかし流子的私観が確立している現在人に対して 私はないのがダダンなどと言っても 文言にしか聞こえません そこで私はないなどと二度もないことを言わずに 私はあるのだが私を外人としてではなく 現実に近づけて取られ 苦労して育てている子供も私 相互作用 相互作用師 相互作用師として 取り込んでいる 相手も私と 私の範囲を広く捉えるように 提案したいので これさ 文人の提案とさ 全く流れ一緒だよね 文人の時もさ仏教で 話できて悟りすましたのこと 言っても意味ないよねみたいな 話を 流れがあっている全く同じなわけなんだよね 結局すべて私って捉えるしましょうねだから ここらへん全部言ったこと一緒にね 続けていきましょう 範囲を広げればどうしても私そのものが多様な要素を含むことになり 多様性に価値を置かざるを得なくなります 有識的私へのこだわりを捨てれば私はないとも環境を 私だとも見ることができるようになるのですね 環境が私だとすれば 多様な生物たちの作り上げを持っている環境の問題は まさに私自身の問題 それは好きだから守る 興味がないから考えないというレベルの話ではなくなってきます そうですね 環境イコール私 要するに私の範囲を環境にまで拡張しましょうねって言ってるのね 提案自体は至極真っ当な ただの 共感みたいなものだと厳しいってこと言ってるんだね かわいそうみたいな感じだとさ さすがに かわいくない生物はどうでなくなってしまいますので そうすれば多様性に価値を受けるようになります ということになるわけです 多様性の…うん 人質的目指しの多様性をお話しします うん まあそうだね 医師たちはこのなんとかこう多様性ってものに最後に注目させようと 生物多様性ってのはなぜ大切なのかっていう 大切にすればもう自明なので 大切さみたいなものを 持ってきたらどうしたらいいかっていう どうしても流石事故だと一様性に価値がある まあ守備一貫性 守備一貫していることっていうのにすごくその 価値が分かれてしまう この辺だよね どうしてもねコーヒーレンス、まあコーヒーレンス、まあこのコーヒーレンスのhereっていうのはheredityのhereでもあるわけだな まあ、遺伝的な方向性が近いのでこれね organization logical, reasonable, rational, consistent、一貫してsystematic コーヒーレントね、これちょっとキーワードになりますので 全体でもコーヒーレントってのはね、すごく大切になってくるんですよね どうしても多様性がない、全部に全ての説明がつくみたいな方向に行きがちなんだけど それはちょっと現実では厳しいぜっていう っていうことだよな まあこのところですね。
あとは選択肢を選んでおしまいということになると思います。 では、牛馬ですね。 これはもう聞くまでもないので、アを選んでおきましょう。 環境と私が生存することで生み出されるものでありと。
私と一体のものだから。 これちょっとあれだね、言い過ぎというか、私と一体というか、考え方によっては拡張できますよっていう。 一体とかで全く同じって言ったらダメなんですよ 私が生存することに生み出される 違う違う違う 環境が生存する あると私が生み出される 逆だね 環境が生存する もう外がやってるしねこれね 外側から縛る 環境とは私の相互作用として相手のことを限定しすぎ ということであとの9番はね 他の選択肢が頭おかしいということで まあが正解ということですね