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ケンドリックラマーの人生と影響

ケンドリックラマーは今ラップ会の頂点に 立っていますアメリカのテレビ番組史上 最も見られたスーパーボールのハーフ タイムシの主役を1人で務めグラミーでは シを相なめそれは2025年の話ですが それまでにも単なるラップ音楽を超えた 影響力を持つ歴史的なアルバムの数々を 出して実績を積み重ねてきました数々の 異業を達成した彼に好きはありません しかしそれはパっと見のケンドリック ラマーのイメージ完璧である意味人間身の ないように思われがちな彼の実像はあまり にも生々しすぎる生身の人間ですメンタル だってやみまくるし浮気だってしまくり ますなんなら人生ほとんどずっと苦しみ 続けている感じですがそんな状況でいや そんな状況だからこそここまでの評判を 築き上げてきましたケンドリックは何を 経験しながら歴史を刻むアーティストに なっていったのかこの動画では人間 ケンドリックラマーの葛藤と成長の物語に 迫ります ケンドリックラマーは1987年4人兄弟 の長男としてカリフォルニアコンプトンで 生まれました彼の両親は元々ギャング活動 でも悪名高いシカゴのサウスサイド出身で あり父のケニーは元ギャングメンバー夫婦 は危険な現状を変えるべくケンドリックが 生まれる3年前に50000ドルを 握りしめて親戚のツてがあるコンプトンに 移り住みます変わらない貧困の中でも場所 を変えて一家はここでより良い生活を 目指しましたがコンプトンといえばその 治安の悪さと伝説的なラッパーの多さで 知られる街 [音楽] でしょうケンドリックが生まれた頃は ちょうどNWAがコンプトンで生きる若い 黒人の厳しい生活を世界に知らしていた頃 ですがこの街でケンドリックは人が特に 小さい子供が見るべきではないものを たくさん目にすることになります4歳の時 彼は死者63名負傷者2383名逮捕者明 を出したと言われるロサンゼルス暴動を 経験町には煙が立ち上り父や王子がカー ショップからタイヤを持ち出す姿を幼い目 で見た彼は後に警察の黒人への暴力がこの 発端であることを知りました5歳の時には 自宅の外で初めて銃により人がなくなる ところを目撃それ以降親戚や友人など様々 な人の死を経験した彼は感覚が麻痺して いったと言います極度のストレスや恐怖と 隣り合わせの環境で育って行くしかなかっ た彼は後の楽曲で幼少期からうつに悩まさ れていたことを明かしていますしかし想像 を絶する経験を幼少期にするケンドリック の周りには味方もいました父のケニーは その1人父親の存在を知らず周りの悪影響 を受けてしまう子供も多い環境の中ケニー は息子を正しい方向に導く存在でした ケニーは8歳のケンドリックを肩に乗せて 西海岸のレジェンドドクタードレーと2 パックのカリフォルニアラブの ミュージックビデオ撮影を見学したそう ですが神はケンドリックにヒップホップと いう最大の味方を与え ますこう語るのはバンガードラーニング センターの英語教師であるインジ先生彼は 当時中学1年生のケンドリックに死を描く ことを教えました大人しく1人を好む少年 だったはこれにどはまり感情を文字に 書き出すことは彼にとってセラピーのよう なものでもありましたが高校時代には軽 ドットとして本格的にラプ活動を始める ことになりましたただ徐々に大人になって いったケンドリックをコンプトンは逃し ません彼が育った地域はブラッズ系 ギャングのウエストサイドパルーのエリア ケンドリック自身は正式なギャング メンバーにはならなかったもののこの頃に は悪友とつるみトラブルに巻き込まれてい ましたその様子は後のアルバムグッド マットシティで詳細にラップされることに なりますが16歳の時に友人をなくした彼 はキリスト教の洗礼を受けます信仰は彼の 人生に欠かせないものであり後の音楽から も時代と共に変わる彼の信仰への向き合い 方を表現していくことになりますか厳しい 生活を送るケンドリックのより所の1つ です家庭進行そしてヒップホップを頼りに コンプトンを抜いてきたケンドリックそれ は同調圧力に対抗できるものだった仲間 たちととストリートにいない時はいつも スタジオにいたよそれが俺をトラブルから 遠ざけてくれるんだヒップホップの役割を 彼はこう語りますが厳しい現実からの 逃げ場こそがヒップホップであり彼はこの 道を探求することを決め ますケンドリックのヒップホップの旅を 語るにあたって欠かせないのが彼が高校 時代に出会い未だ共に歩み続けるデーブ フリーという男コンピューター技術者とし て働いていた彼はある日地元の新身キ レベルtdeのボストップ道具のパソコン 修理の案件を受けましたがこの機会を利用 してケンドリックをトップ道具につなげ ましたその結果2005年ケンドリックは tdeに加入します加入当初ケンドリック は先に加入したjrockの影に隠れる 存在でしたがjrockは2006年から 2010年にかけてミックステープをなん と10枚もリリースハウスオブペインと 恐ろしい名前がつけられたトップ道具の スタジオで所属アーティストたちは必死に ペンを磨きました今は滅多にアルバムを 出さケンドリックも当時はtdeのハード ワークカルチャーの元次々とミックス テープを発表tde加入後5枚の プロジェクトを出す中で同僚のJコールや あの時ミュージックビデオ撮影を見ていた レジェンドドクタードレーなど業界からの 注目を徐々に浴びることになります 2011年には若手の東流門であるwxl フレッシュマンクラスに選出された ケンドリックは勢いそのままデビュー アルバムセクション8をリリースしました 80年代アメリカではコミュニティを崩壊 させたクラック古家員が貧困層を中心に 流行この時の大統領レガンはアメリカの ヒプの格差を広げたと言われますが80年 代生まれのケンドリックはその時代の影響 を受けた貧困層の人々の物語をセクション atでラップしました彼はこのアルバム 制作のきっかけをこう語りますこの アイデアが生まれたきっかけの1つはある 親しい友人を思い出したことでした彼は 17歳で来年18歳になるはずだったのに 暴力犯罪で25年から就寝系を言い渡され たんです彼には導いてくれる存在がいなく て何も気にしないし誰の話も聞かないと いう僕たちの世代にありがちなネガティブ な流れに巻き込まれてしまった彼はあまり にも若かったのに人生のほとんどを失って しまったんですまるで彼はこの世界その ものを経験する前に全てを奪われてしまっ たかのようでしたその友人とは違い ケンドリックはヒップホップに救われまし たただ育ったのは同じコンプトン彼らと 同じ苦しみを味わってきたケンドリックの ヒップホップにはその痛みを音楽を通して 世界に伝えるという使命がありますそれは 変化を促すことでありポジティブなこと です西海岸の先輩たちもそうやってヒップ ホップのポジティブなエネルギーをついで きたわけですが彼らはこの時期にはすでに ケンドリックにその役割を担うだけの器が あることを見抜いていました [拍手] セクション8のリリースごスヌープは ケンドリックに西海岸の中を渡し珍しく ケンドリックは人前で涙を見せました当時 メインストリームでは比較的無名のケリ でしたが翌年の2012年にはスヌープの 期待に答えるかのようにラップ会に西海岸 の復建を印象ける名を送り出します 悪友たちと車に乗って危険な遊びに 巻き込まれる17歳の思い出を映画のよう に描いたのがグッドキッドマッシティ セクション8は他人の物語だったのに対し グッドキッドマッシティはその名の通り 行かれた町でグッドキッドでいようと葛藤 するケンドリック本人の物語をラップし ましたローリングストーンが歴代最高の コンセプトアルバムに選出するほどの骨太 な物語がこのアルバムの特徴ですがその サウンドも超一流エグゼクティブ プロデューサーを務めたドクタードレーの 影響も受け西海岸満載のサウンドを採用し 時にアグレッシブに時にメロディックに 単純に音だけでも楽しめるアルバムです このテーマの深さとヒット性を高レベルで 兼ね備えるのがケンドリックの特徴彼は このアルバムでメインストリームにも衝撃 を当てラップ界のスターたちと肩を並べ ましたグッドキッドマッドシティの リリース直後には当時ブレーク中の各地域 の若手オールスターたちとのコラボ曲フキ プレムに参加後に壮絶なビーフを 繰り広げるドレークも含めた仲間たちと次 のラップ会を引っ張るために仲良く手を 組んだかと思えばそれから1年後にはその 仲間たちにまさかの爆弾を落とし [音楽] ますのコントロールに参加したッはのよう に動毛な声で通しむき出しのラップを披露 しましたそれから10年後にはドレイクを またボコボコにするわけですが ケンドリックはキャリアを通じて度々攻撃 的なラップを見せます一見あの大人しい 1人を好むケンドリック少年の キャラクターとこの攻撃性は合わないよう に思いますインジ先生がまたびっくりし そうですがインテに見える彼がなぜ他の ラッパーをディスるのか彼はコントロール についてこう説明しています WhenwenthavingF think Hihave spit personpeopleケンドリックは ヒップホップをスポーツと言いますか ヒップホッにはこの競争を通じてMCたち がスキルを磨いてきた歴史があります81 年にはすでにクールモデというラッパーが BGBを打ちかましてリリックの重要性を 証明した事例がありますが歴史的に見ても このバトル文化はヒップホップにねいてい ますケンドリックは未だにバトルラップを 見るのも好きだと言いますが単純にこの ヒップホップのバトルの側面が好きでそれ がカルチャーにとってもいいことだと信じ ているのが彼が度々他のラッパーを ディスる理由でしょうそしておそらく 何よりも自分がトップに立ちたいという ハングリー精神が大前提グッドキッド マットシティでブレイクしていこう彼は ケンドリックラマーを世界に証明するため にさらなるハードワークを続けました スティーブ青樹との全米大学ツアーに自身 初の海外ツアー先輩カエのイーザスツアー のオープニングアクトに世界を飛び回る 毎日富に明星を手にし16歳の時からの ハードワークがついに身を結んだ喜ぶべき 瞬間のように見えますしかし実際は真逆 この頃ケンドリックは幼少期からのうつの 再発に苦しみ自らこのよ去ることも頭を よぎるほど追い込まれていました彼に 襲いかかったのは再びコンプトンの現実 です ドリックが抱えていたのは サバイバーズギルト自分はラッパーとして 世界を飛び回る一方で今地元に残された 仲間が最悪の最後を迎える状況に罪悪感を えていました葬式に行きたいのに自分は 海外で仕事中仕事ではコンプトンではほぼ 接したことのない白人のビジネスマンたち に囲まれて新しいことづくめ混乱と不安は 彼を限界に追い込んでいました ケンドリックはこの時期に2度目の洗礼を 受けたそうですが2014年には南 アフリカを訪問この経験はサバイバーズ ギルトに苦しむケンドリックにとって ターニングポイントになりました彼はそこ で地元よりもさらに過酷な環境の中でも 前向きに生きて愛に溢れる人たちにに 出会いますまた反アパルトヘト運動を進め た南アフリカ初の黒人大統領ネルソン マンデラの独房を訪問マンデラは国家反逆 罪で27年間も投獄されながら諦めず歴史 を変えた人物ですが彼の不屈の魂に ケンドリックは感化されますグッドキッド マッドシティ以降メンタルの崩壊や 南アフリカ訪問など様々なことを経験した ケンドリックこれらの経験を曲にしたのが 2015年発表の3枚目のアルバムトゥー ピンプはバタフライです このアルバムで彼はメンタルの浮き沈みを さらけ出しながらマンデラや先人たちの魂 を受け継ぐ黒人コミュニティのリーダーと して自らを位置付けしまし [音楽] た音楽を超えた社会的なテーマを 背負い込むことは覚悟がいることですが ケンドリックはそこから逃げません結局は 誠実さの問題なんだみんな楽しむのは好き だし俺だってそうだでもどこかで 立ち止まって待てよ世の中には実際に大変 なことが起きていてそれは俺がどんな合唱 局を作るよりも多くの人が共感できること なんじゃないかて思うかなんだ彼はこう 言いますが実際この時期は警察の黒人への 暴力によりブラックライブスマター運動が 急速に広がっていた時期でもあります 変わらない現状に人々は次々と立ち上がっ たわけですがケンドリックの曲が実際に 人々を後押しした例がトゥーピンプ バタフライからオーラがこの運動の アンセムとして使われたことです [音楽] ケンドリックの変化を促すポジティブな メッセージは世の中に実際に影響を与え ましたしかしトゥーピンバーバタフライ 発表から翌年の2016年アメリカは 大きく揺れ動くことになり ますこの年ドナルドトランプがアメリカ 大統領戦に当選移民や人種問題に関して 挑発的な発言を繰り返す彼は特に当時黒人 コミュニティからの支持率は低く批判も 多く受ける存在でしたケンドリックも 同じくハントランプ派です世の中に広がっ ていたのはアメリカの分団がさらに深まる んじゃないかという不安そんな混沌とした 状況の中で彼は次のアルバムダムを リリースします前作の正治性や誤時性的に も再び世の中の変化を促すような力強い メッセージが込められたアルバムになると の予想もありましたが彼が出したのはここ までのキャリアで最も内政的なアルバム でした一見ケンドリックは完璧に見られが ですがここまで紹介してきたように僕たち と同じように苦しみもく1人の人間 成し遂げてなおプライドに人間関係目先の 欲望や次々襲ってくる恐怖と向き合う必要 がありまし [音楽] たフィアで彼は7歳17歳27歳の それぞれの時代の恐怖をラップします7歳 の時はストリートの影響を受けないように 厳しく育てられた母への 17歳の時はストリートのギャングや警察 への恐怖成功した27歳では積み上げた ものを失うこと一挙手一等速が人から評価 されることへの恐怖を打ち明けました自ら を黒人のリーダーとしたケンドリックで すらその裏には常に恐怖がありましたが 様々な困難を乗り越えるために彼は信仰に 活路を見出します神は10代の時から彼が より所にしてきたところ人間の様々な欲や 苦しみを信仰と絡めて解決策を見出しいく のがこのアルバムですがこの内的な アルバムをなぜケンドリックはこの タイミングで出したのか彼はこう言い ますButterflybetheIDE ofThoughtofchingthe worldyouknowhowwe workHowApproach ThingsbetheIDEI Changetheworld Ithelistener 一見個人的な問題を取り扱うダムにも リスナーにポジティブな影響を与えたいと いう意図が込められていましたただ内政的 とはいえこのアルバムにはハンブルや DNAなどの大ヒット曲がありその売上も 抜群トラップなどモダンなサウンドを 取り入れケンドリック史上最も売れた アルバムがこのダムです翌年の2018年 には映画ブラックパンサーのサウンド トラックを手掛けてこれも全米1位の大 ヒットドリックラマーの名前はこれまでで 最も大きなものとなっていましたがファン の期待と反するようにひっそりと彼は表 部隊から姿を消していくことになり ます人気絶頂の中音楽活動もメディアへの 露出もほとんどなくなったケンドリック いこのベイビーキームの曲への参加や デイブフリートの新会社PGランを 立ち上げたなどたまにニュースはありまし たただファンが1番期待するのは次の アルバム沈黙を貫く彼の周りには異様な弱 が漂っていましたがそれもそのはず彼は このデジタル時代にスマホすら手放して 生活をしていたようです2021年突如 ケンドリックは近況報告をしました私は ほとんどの日々を吐ない思考と共に過ごし ている書き聞きそして古いビーチ クルーザーを集めながら朝のライドは静寂 の丘の上へと僕を導いてくれる何ヶ月も 携帯を持たずに過ごすこともあるtdeで の最後のアルバムを制作しながら17年間 この文化的な奇跡の一部になれたことに 喜びを感じている苦難成功そして何よりも 兄弟の絆最高なる存在がこれからもトップ 道具を真実の想像者たちのための器として 導き続けますように私は私の使命を追い 続けて いく彼は次のアルバムを示唆しその アルバムを最後にtdeを離れることを 明かしましたそれから9ヶ月後世界は再び ケンドリックの思考を垣まみることになり ます [音楽] 前作ダムから新アルバムMrモラルアザ ビッグステッパーズ発表までの1855 日間で経験し感じてきたことを率直に 打ち明けました2年間ライターズブロック にかかって何も書けなかったこと高校時代 からの恋人ホイット2との間に2人の子供 を儲け父になったけど厳しいコンプトンで 男らしさを求める父親の厳しい教育が トラウマとして残っていること欲に溺れて 浮気をししまったこと妻に進められ セラピーにも通い始めたようでセラピー セッションのような率直な告発がこの アルバムのテーマになっていますその告発 で明かされたのは相変わらずコンプトンで 過ごした幼少期いやそれ以前から黒人 コミュニティに負のサイクルとして世代を 超えてねいてきたトラウマどれだけ成功し ても生まれ育った環境の影は消せないこと が痛々しく伝わりますがこれまで積み上げ てきたケンドリックラマーゾをわざと壊す かのように率直すぎる告発を続けました 無数のトラウマを抱えながらもみんなから 崇められたケンドリックは背負いすぎた 荷物を下ろしたかったのかもしれませ [音楽] んこの時代の救世主として崇められてきた 彼はアルバムの最後にその肩書きを外して 自分自身を選びまし [音楽] たMrモラルアザビッグステッパーズは ダム以上に内的でダムではまだ意識してい たコミュニティへの影響を意図的に捨てて とにかく自分にフォーカスしたアルバム ですその結果思い内容の曲も多くこれまで のアルバムに比べたら売上は控えめになり ましたただその後のツアーはヒップホップ のツアーとして当時史上最高の収益を記録 そのツアー中にはサマソニのヘッド ライナーとして日本にも立ち寄りました僕 も生で見ましたがそのいでたちはもはや ラップ000人他のアーティストが日本の 暑さに発狂しそうになる中ステージ上で 多くを語らなかったケンドリックは例の ごとく再びスポットライトから離れていく ことになりますダムの後と同じようにまた しばらくゆっくりするモードが世の中に 漂い出した頃彼はコントロールの時と同じ ようにまた唐突に人の曲で巨大な爆弾を 投下し ますメトロブーミンとフューチャーの アルバムにノーモーションで参加した ケンドリックは唐突にビッグ3を否定して ラップ界の単独トップに立つのは自分だと ビッ3とはラップ界ではケンドリック ドレイクJコールの同時期に出てきた3人 のスーパースターのことを察しますビッ3 の頂上決戦はもはや三国士歴史的頂上決戦 の突然の回線にラップファンは胸を踊らせ ましたが先にケンドリックに返したのはJ コールでしたしかしJコールは ケンドリックをリスペクトするがあまり ディスを返したことで夜も眠れなくなって 謝罪してディス局を削除次にドレイクが 続きましたがコントロールありから微妙に が続いていた2人は激しいディス局の応戦 に発展しますハイライトは超絶怒涛の 2024年ナンバーワンソングのノット ライクアス [音楽] ですスキル戦術デスの強さ全ての局面で ドレークを両がしたケンドリックはラップ 界の頂点に立ちましたもはやラップ戦人に なっていたケンドリックがまだこんなに 好戦的だったことは世の中に衝撃を与え ましたがこのドレーク討伐の連の流れを よく見るとそこには矛盾が浮かび上がって きますケンドリックはドレーク討伐後突如 Instagramに意味な曲をポストし まし たこの曲から感じるのはドレイク討伐の 理由がどうやら自らのナンバーワンを主張 するためだけではなかったということこの 宴は現在のヒップホップ会のことを指して いるとも取れますがパーティなど若者に悪 影響な中身のない道徳的に間違った方向に 偏っていく今のヒップホップの現状を 終わらせようとしている風に聞こえます そんな今のヒップホップの現状をもに反映 したアーティストがドレイクであり彼を 見せしめに討伐することでヒップホップを 変えるという意図を感じますこの動きは これまで黒人コミュニティを代表してきた ケンドリックらしい動きですが少し違和感 を感じます違和感の正体はMrモラルアザ ビッグステッパーズの時には救世を降りた はずなのにまたヒップホップの救世手を やり出したことバトル好きのケンドリック が他のラッパーより上に立ちたいならまだ 分かりますがヒップホップを変えて若者に いい影響を与えるはもうそれは救世主です なぜケンドリックはまた救世主をやり出し たのかその答えは彼はみんなの救世主では なく自分自身の救世主をやっているからな んだと思いますおそらくこのヒップホップ 改革は誰よりもケンドリック自身がやり たかったこと結果的に海岸やヒップホップ 伝統主義者たちの期待を背負う形にはなっ ていますが過去のサバイバーズギルトに 苦しんでコンプトンのためにやらなきゃ いけないというマインドから自分自身が やりたいからやるというマインドに変化し ているように思います仙人ケンドリックの インタビューは年々少なくなっているので あくまでも考察ですが数少ない貴重な tdeの後輩シザとのインタビューで彼ら はこんな会話をしていましたあなたが怒 りっぽい人だという意見があることが興味 深いと思ったのあなたのエネルギーはとか 僧侶のような落ち着いたところから来て いる感じがするああいう曲で感じられる エネルギーのもって怒りなの俺は自分を 怒りっぽい人だとは思わないよでも愛と 争いはどちらも必要だと信じてるそれを 認識することで反応はできるけどそれを 自分自身と同一視することはないんだただ それを存在させそれを自分を通して流さ せるそれが俺の信念だよあれだけ えげつないディス局を出しておいて自分を 客観視するこの姿勢完全に悟り開いてます コミュニティの救世主になろうとした 苦しくて神に寄り添ったでもトラウマが きつくて救世主を降りたその家庭を経て彼 は今最も自分の信念を貫くことへの恐怖や 迷いがなくなっている状態なんじゃない でしょうか過去ラップしていたのは周り から評価されることへの恐怖です実際今回 のケンドリックのヒップホップ改革も皇帝 の声だけではありませんケンドリックは 地元とかリスペクトとか伝統とかに縛られ すぎなオタクラッパーケンドリックと ヒップホップファンのせいでヒップホップ は破滅するマジで残念メッセージ性がある がゆえに常にケンドリックにも批判の声は つきまといますその点彼は様々な考えを 持つ人にどうメッセージを届けるのかに ついて2017年のインタビューでは こんなことを言っていましたどうやって 教会の中の人たちに語りかけながら同時に 教会の外の人たちにも伝えようとしている のシンプルな方法は遠慮しないことです そして弁解しないことこれは誰かを 傷つけることを恐れてはいけないという いうことでもある俺は特定の人たちのため だけにやってるわけじゃない俺自身の価値 観や信念に正直でなければならないんだ 長い間こっちの人たちには届くかもしれ ないけどみたいに考えてたでももし俺が 完璧な人間のように振る舞っていたら教会 の外にいる人たちは本当のケンドリックを 感じることができない彼らは俺のことを神 みたいに思うかもしれないでも教会の中に いる人とも教会の外にいる人とも同じよう に俺はただの1人の人間なんだ教会の中に いる人や外にいる人は様々な考えを持つ人 の例えですが結局はケンドリックラマーも 完璧じゃない1人の人間です間違いも おかしし苦しむし誰もが賛同する救世主で もありませんただそれを理解すればする ほど逆に1人の人間としてここまで自分の 信念を貫いてるところにすごさを感じます 彼のその信念は世界一の舞台でも迷いや 恐怖を乗り越えて披露されました [音楽] 2025年スーパーボールハーフタイム賞 にラッパーとして初めてソロでヘッド ライナーを務めたケンドリックノット ライースやTBオフなどドレイクディスで あり革命のアンセムをパフォーマンスした 彼は彼が信じるヒップホップを全世界に 見せつけましたケンドリックラマーは確か にただのラッパーではなくヒップホップの 歴史を背負い進化させてきたアーティスト ですただその異業の裏にあるのは コンプトンで生まれ育った少年の苦しみと 挑戦の物語その環境は一般的には特殊な ものかもしれませんが失敗し学び成長する のは人生で誰もが通る道です彼の成し遂げ た異業だけでなくその家庭で歩んできた道 こそが次の世代の子供たちの未来を照らす 光となります