[音楽] [音楽] え、皆様、え、本日は足元の悪い中京都大学大学院教育核高先生の最終講工講議にご集まりいただき まして誠にありがとうございます。私は、 え、本日の司会を務めさせていただきます 。ええ、京都大学研究室第1規制世に あたります北九州支出大学のでございます 。どうぞよろしくお願いいたします。く 先生は長年にわり知理学や教育心理学の 分野で爆越した研究を続けられ、特に由や 水論批判的思考、熟達家、リスク認知、え 、ノスタルサルジアといったテーマを中心 に多大な研究業績を 伸と東京工業大学、東京科学大学において 教育と研究の両面で更新の育成に迅力され 、多くの潰れた研究者と実務化を配され ました。本日は楠先生にこれまでの研究と 教育の歩み、そして今後の展望についてお 話いただきます。先生の地見に触れ、 改めてその学問的な奇跡を振り返る貴重 な区会となりますので、皆様、え、最後 までご成聴いただければと思います。それ では先生のご登壇の前に京都大学院教育 学研究研究課長である斎藤サ先生よりご 挨拶をいただきます。斎藤先生、どうぞ よろしくお願いいたします。 え、斎藤でございます。え、今、あの、研究課長という風に紹介を受けましたけれども、あの、私といたしまして、ま、ここで、え、教育認知の、え、協、え、ま、その代表として、え、一言で、え、ご挨拶をさせていただきたいと考えております。まず美先生、え、ご底辺出職にございます。 え、先生はこれからも研究教育、え、そう いった活動を続けられると思いますけれど も、え、1つの大きな締めでございますの で本当にめでたいことと存じきます。え、 本日の、え、講演会、それからこの後の 懇新会準備はですね、え、当座の協議員は もちろんのこと、え、研究室の、え、出身 者の方々が中心となって進めてくださって いました。え、この場を借りて、え、おを 申し上げたいと思います。え、鶴先生は 1999年10月に京都大学に着認、え、 され、え、市販機にわって、え、教育日 進学講口座の研究を検し、学生の指導に 当たっておられました。多くの優れた、え 、卒業生、終了生がここで育っていたと いうことについてはこの会場を見れば 分かることですし、先生の、え、ご経歴を 、ま、ここで私が紹介するというような ことは必要のないことかと思いますので、 え、ここでは、あ、私の方からはそのよう なことはさせていただきません。1つ述べ させていただくとしましたら、え、この間 先生は京都大学院教育化研究家の副研究 課長、そして研究と、え、ま、大学そして 研究家の運営にあの非常に大きな功績を 残しておられました。え、ここにあの深く お礼を申し上げたいと思います。で、私は あの20年以上く先生と一緒にですね、 この講座で仕事をさせていただいたわけ ですけれども、今日は、え、今まで言え なかったことをですね、この動画に ちょっと申し上げようと思っています。 まず、あの、薄の謎が多いです。これは あの、いつも奢っていたんですけれども、 この方はいつもどうして笑顔で至るですね 。どうしてこんなに仕事が早いのか、どう してこんなに多くの仕事を地にこなすこと がで、どうしてこんなに敵が少ないん だろうとかですね。あの、どれもこれも 本当に見習いたいことばかりです。とても 簡単ではありませんけれども、で、特に ですね、あの、重要な最大な最大の謎は ですね、この方どのようにしてこのような 形に形作られていったんだよ。これが私の 本当にあの疑問でした。で、もう10年 ぐらい前になると思いますけれども、楠 先生がどこかに書いてもらって、これは 何かのインタビュー基地だったかもしれ ませんけども、そのあの、え、情報を 思い出すことはできませんが、杉先生は 毎日夜寝る前か、え、お風呂でですね、 その日1日を振り返る何か至らなかった ことがあったらですね、どうしたら良いか 、より良い方法はなかっただろうかという ことを考えていうことをしてこられたそう です。毎日で私はこれを読んだ時にこれ こそがこの方を形づくたのだとすな様々な ことが、え、非常に不に落ちました。で、 これは自らの行動を批判的思考 クリティカルティングの対象とするという ことでもあり、また研究者、教育者として の熟達化を促すそういうプロセスでもある と言えると思います。さらにウィズダへと 向かう道のりであるとも言えるかもしれ ません。え、く先生はご自身の研究をこの ように実践し、え、自らきりし続け、成長 し続けて来られたんだと思います。これは 誰にでも真似をできることではないと思っ ています。ただ私はこれだけは真似を しようと、え、思いました。毎日はでき ないので週1度と思ってきました。先生の 1/7のスピードですけれども、同じ方向 に進むことができるかもしれないと信じて のことです。自分自身の行動を批判的思考 の対象とする。これが私が久生から、え、 教えていただいた最も重要な教えです。で 、さて、あの、このご退職ということで、 え、講座を離れられることになります。え 、久生の理論によりますと、おそらく口座 を離れてしばらく一定の時間が経過いたし ますと、杉先生は教育認識心理学講口座の ことを懐かしく思い出されるあるかもしれ ません。私どもといたしましては、 引き続き継続的にご指導を賜わりまして、 先生にとって教育講座が懐かしい思い出の 講座などとなってしまわないよう願うし ます。え、このご丁年対処に際しまして これまでの先生のご人力に深く感謝の意を 表するとともに先生のご健康祈り、さらに 大変ましいことではございますが、今後の ご指導ご検討をお願いして私の挨拶に改札 させていただきます。どうもありがとう ございました [拍手] 。先生、ありがとうございました。 それでは先生にご講演 いただきただきます。皆様盛大な拍手をお願いいたします。松田先生、そして斎藤先生、あの過分なそして素晴らしいだいてありがとうございます。私はこれから批判的思考の話もしますが、しもその実践者にはなりきれてないというようなことも、え、中でお話ができればという風に思っています。 [拍手] そして本日は皆様お忙しいところそして雨 の中私の最終講議にお越しいただき ありがとうございます。中には遠くからお 越しいただいた方もいまして本当に嬉しく 思っています。私が今まで多くの皆様の 支えにより、ま、この日を迎えることが できたということに本当に感謝しています 。今日これからお話しするのは、え、教育 認知理学奇跡と未来ということで教育 認知理学、あ、私が現在してる講座の、ま 、歴史とそれからそこに属することになっ た私の研究の歩みをメタフォリカル マインド、それからクリティカルマインド という2つで、最後に教育認識を未来と いうようなことをお話ができればという風 に思っています。で、まず最初に、ま、 教育認知心理学とはということですけれど も、1つの大きな柱は認知心理学です。 認知心理学は、あの、人の心とか行動 支える人の認知のプロセスと知識を科学的 な期、説明、予測を目指す、ま、心理学の 基礎分野で方法は、ま、実験や観察や調査 、そしてシュレーション、そしてモデルを 構築するというのが他の、ま、新理学とは 違うところだと思います。私がちょうど 大学院生の時代、1980年代に非常に盛 になり始めて私自身は非常にその魅力に 取り憑かれました。そしてもう1つは教育 審理学。これは教授、学習、家程、発達、 個人差、測定などに関する教育に関わる 信約的問題に取り組む信約の応用分野です けれども、基礎研究だけでなくて現場での 実践研究も非常に重要で教職関連科目と なっています。で、京都大学の教育部創設 以来の講座名で矢部先生、大阪領先生、 そして上本先生、え、坂野先生など先生に よって、え、支えられてきた講座です。 そして教育心理学、あの、小安教授とそれ から市聴教育講座吉川女教授がその時 いらしたんですが、大学院重点化の年、 1998年に2つの講座が統合されて、 教育認知学が生まれました。これは日本で 唯一の講座めです。そして私はその翌年 都市の1999年10月に受教時として 着認することになりました。民知理学、 民知科学というのはそれまで私が、え、 その分野で、え、非常に強い影響を受けて 、あの、研究をしてきた分野でした。特に 80 年代はそのモデルとか学際性の魅力、特にコンピューターサイエンスの影響によって研究が非常に活発になって、そしてインターフェース研究のような例えば人に、ま、よく優しい コンピューターと言いますけども、ま、人のような賢い コンピューターが作れるんではないかとことで、当時第 5世代 コンピューターってことで累水キングがあって、その中の一員として、えっと参加できたり、あるいはレンド 21という今はスクトップタワーバーとい いうあのコンピューターの画面の中に ホルダーがあってプリンターがあった りっていうのは当たり前ですけれども、 そうした、ま、メタファ、火を利用した インターフェースの研究っていうのもその 時に活発になって私も参角することができ ました。そして日本認知科学会、日本認知 言語学会、日本認知理学会など設立時から 参加できたというのは私にとってはまさに その学問と一緒に、ま、歩んできたという 風に考えています。で、教育心理学は一方 ですごく歴史が古いんですけれども、当時 実践性に乏しくてよく、ま、不毛だという 風に言われていまして、ま、教育心理学の 不毛論争みたいなものが繰り返されてたと いうような時代もありました。え、しかし 、ま、現在、えっと、教育死理学、また 現在の教育死理学はそうですけれども、 認知発達教育、そしてそれに関わるような 記憶や感情や思考や個人の研究が非常に 活発に行われ、さらに現場との連携も進ん でます。で、教育人知学について言えば 教育実践コラボレーションセンターという のができて現場、教育現場の先生方との 連携が非常にこう密になり、また21 COE、GCOEなどを得ることによって 例えば大学院を海外に派遣したり、 あるいは国際シンポジウムができたという のがこのその後の時代です。またデザイン 学のリーディング大学院に参加して工学や 情報学や計学の先生方とも一緒に連携して また陰同士も交流するっていうことが教育 臨学講座ではできました。で、私の研究 テーマを振り返っていますと、まず、ま、 認知役の分野ではヒの研究から始まって 懐かしさ、そして人とコンピューターの 問題に関する研究。一方、教育心理学では 学校における学習として批判的思考や リテラ、さらにメタニアプログラム教育、 それから職場環境をける学習としては実践 や熟達英の研究、そして意思決定や感情の 研究などを進めてきました。そして、え、 多くの、ま、メンバーが、え、私の研究室 に、え、大学院生やポス読として加わって くれることによって、え、日学の、ま、 言語の分野では物語理解や産質、演劇の 研究というものを、え、線が活発に研究を し、また人とコンピューター環境について は空間の問題とか、あるいは建築の問題と か、VRを使った研究ってのが展開し、 また教育市議学の分野ではメタ人認知や 登期付け、それから質問行動や教材の流調 性の問題などの認知学的にさらに職場に おける学習ではグリッドとか好奇心そして 意思決定や感情に関してはギャンブルや シーナフロイドや切なさのような様々な 感情や意思決定の問題あるいは幸福感の 研究などを進めていくことができました。 また、え、社会的認知や社会的行動の研究 も高社会的行動や行動、サンクション行動 、ステイプ文化に関わる研究も生たちが 進めてくれて国み研究室ってそういう点で は非常に研究が幅広く展開し、そして海外 でも、ま、活躍し、発信するような卒業生 を出したっていうのは私にとってはこれ ほど嬉しいことはありません。で、私自身 の研究を振り返ってますと、まず、えっと 、学院大学の大学院生時代に、ま、非、ま 、実は卒論から始めたんですけども、非を 始めて、それが、え、類似性という点から デジャ、そしてジベが引き起こす懐かしさ という流れの中で住んできたという、ま、 メタフリカルマインドというような、ま、 類似性や近接性、あるいは認知の柔軟性や 想像性に関わる研究の流れと、もう1つ、 私は筑ば大学の社会高学系に、ま、行動科 担当の講師としてまずあの不任したんです けれども、その時には周りにま、経済学者 とかあるいは都市計画をやってる、リスク 研究をやってる人たちに囲まれて、ま、 その時に、ま、リスク認知の研究に誘われ てリスク認知研究を始め、さらにリスク 認知というものを、ま、より良い方向に 導くための、ま、批判的な思考ということ に、え、の研究を始めて、それが、ま、 実践値、英地の研究にも展開してきたと いう流れがあります。こちらの方は、ま、 直感とローニ、そして人の認知の脆弱性と それを克服の学習ということで、ま、 クリティカルマインドという風に呼びたい と思います。で、この2つを軸に今日は話 ができればという風に思っています。それ で、えっと、私の意味、あの、高校時代 からもう1つ振り返りますと、私はあの、 学習高等にいて、ま、先輩である、ま、 三島行きを愛読していて、図書館にある 前収をせと読んでたんですね。ま、誰も 借りてない本を1番目に借りるということ で、え、私は三名前士を、ま、え、最初 からこう全部読んでるというような日々を 過ごし、また一方では小説も書いてたん ですけれども、ま、応募しても全然こう 通らないていうことで、ある種の能力への 限界っていうのをまさにその時感じました 。で、私が考えたのは一生、ま、本に囲ま れて過ごしたいというのが私のその時の 願いでして、もう一方それでは食べていく ことはできないのは当然分かりましたので 、ま、兄弟にも立ちたいという風に思って いました。そして本当にどの学科に行くか は相当迷ったんですけれども、ま、人に役 に立ちたいということとまた青年期の いろんな問題を抱えていましたので心理学 はその解決策ではなるんではないかと思っ て、ま、新理学科に住んだというのが私の 新理学の選択です。ただ新理学会に入って みると臨床理役の先生は1人もいないで みんな実験役学の先生ばかりだったんです ね。ただ毎週毎週実験演習で、ま、実験を してレポートを書い、実験をしてレポート をするって中で、ま、進学実験の面白さっ ていうのに目覚めて、そして当時私が関心 があったのは記憶と言語だったんです けれども、ま、え、ゼミで、ま、 メタファー&ソートという、ま、ヒート、 それから思考を扱うようなあの読むという のをきっかけに研究に関心を持って卒論、 修論、白論と、え、旧研究を続けてきまし た。そして松に移って、そこでは意思決定 やリスク認知の研究を始め、その当時、え 、同僚の、ま、松田先にという方が トばスキを真い講演会をしたり、あるいは 発達新理学会でゲトナーを招い講演会があ るってことで大いに刺激を受けました。 そして、え、東京広代に移ってからは、 えっと、ヒューマンインターフェースの 研究や実践の研究、それから シミュレーションやコネクショニスト モデルの研究を、え、始めることになり、 また当時あの東大出版会から認知心理学と いう講座が出て、その中で機能水論と批判 的思考という賞を担当して、これが96年 に出版したんですが、当時はあまり批判的 思考って日本では特に認知額ではあまり 言われてなかった時にこうした観点から、 ま、この賞を書いたというのが私の次の報 構成を決めることになりました。そして、 え、その中でカフラ大学にあの文務省の 在外研究員として行くことができて、 サンタクルーズのギプスという研究の第1 任者、それからロサンゼル港のホリオクと いう、ま、累水研究の第1任者の先生の 研究室に行くことができたっていうのは その後の私の研究を大いに方向付けること になりました。そしてその後兄弟の教育学 研究家に移って、え、大きく、ま、あの、 今までの、ま、メタフォリカルマインドの としては非有研究を通るように新たに クリカルスイングの研究、これは批判的 思考の、ま、尺度やテスト開発、そして 教材開発に関しては、ま、平山さんがあの 、入ってきてくれて、そうした研究を 進めるとにベネセの皆様に非常にお世に なって開発、テストの標準化、教材の開発 、そうしたことを進めることができました 。また自分自身も大学で実践するとともに 高校などによる実践研究について始めて そして批判的思考がメディアリテらしいと 投票行動にどう影響するのか実践者エジと どう関わるのかというようなことも始める ようになりました。で、まず第1の流れで あるえ、メタフォリカルマインドという ことについてここでは、え、話をしたいと 思います 。で、え、ヒ、ま、例えば彼女の笑顔は 太陽のようだっていうような言い方をし ますけれども、この場合、ま、笑顔という 主題と太陽という、え、両方は非常に 駆け離れたカテゴリーにあるものです けれども、その類似性を探したり、 あるいは何らかのイメージにおいて 結びつけた表現が、あ、笑顔は太陽の歌で 代表されるようです。ここでのようだで あるのは直由。ないのは因と言います。で 、認知学における有研究っていうのは 単なる言葉の、あ、ではなくって、え、 言語表現をどう人が処理をするのか、 コミュニケーションをどうするのかって いう解明と共にまさに2つのものを 結びつける、え、累星を認知したり、 あるいは類水をしたり、あるいは知識が どうな、人の知識がどうなってるのか、 どう獲得されるのかっていう解明する 手明かりになるということと、もう1つは 費による人の想像性だとか、あるいはあの 素晴らしい皮膚にこう引き込まような干渉 を解明するというような、え、意義がある ということがあると思います。で、認知役 では費の研究というのは、え、大きく 考えると、あの、これから話すような流れ を持っています。で、笑顔は太陽だって 言った時に、あの、両方の類性性を探すっ ていう時に人は特徴をマッチングさせて、 え、その類事性を発見するんではない かっていう特徴化仮説というのがありまし た。例えば笑顔と太陽ですと明るいとか 暖かいとかそういうような特徴を発見する ことによって人は火を理解するって いうような考え方があります。で、 ちょうど私は、ま、トばスキとオートニー がこうしたモデルを作って、例えば目は湖 だった川端に出てくるなんですけども、目 は湖だのを理解するということを考える ために目に関する特徴の連想、湖に関する 特徴の連想を求めて、そしてその両方が 合わさった分、例えば済んだとか深いとか 青いとかこういう特徴がどれぐらい出て くるのかっていうのことを、え、明らかに するような実験をしました。そしてここの 共通する部分っていうのは湖からたくさん ま、出てくるってことがあって、費って いうのは特徴を対応させてその中で例える 後の特徴が非常に大きな重みを持つという ようなことを見つけたというのが、ま、 このモデルの、ま、検証した実験でした。 さらにというのは、あの、特徴という点で 言うと、ま、あの感覚とか情緒感覚的な 特徴と言いますけれども、え、私たち 例えば美しい食いとか済んだ濁ったそうし た特徴ってのはそもに関連していて評価の 次元という風に言います。もう1つは 大きい小さいとか深い浅いとかそういう ような特徴というのは大きくこう力量性の 次元と言いますけどもそれをま死分析って いう方法で、え、明らかにしてそして火を 作っているそれぞれの言葉同士が情緒感覚 的な意味でどういうような縁というか関係 にあるのかって明らかにすると例えば微障 は定めだっていうのも川さないにあるもの なんですけどもこの2つは比較的こう近い 位置ポジティブな意味のところにあるとか あるいは心は沼だ心はニュートラルだけど 馬はこうドロドロしたところにこうあると かそういうようなことで、え、情緒的感覚 的意味の中のそれぞれの皮膚の言葉同士の 意味の関係を明らかにしてそして皮膚の中 で2つの言葉を評価させると心と沼っての は一緒にこうドロドロした方に移るとか あるいは目と水みたい非常にこう近いとこ に映るというようなことが分かりました。 一方ではヒは心と例えば沼でしたら両方は 全然違うカテゴリーでカテゴリー的な意味 は駆け離れているっていうことがそれを こう情況的な意味の近さによって結びつけ たのがま、比だということになります。 こちらの方はあのカテゴリーでこう分類し てもらうっていうような実験を行ってその 近さに基づいて空間の中に位置づけたもの です。で、その結果明らかになったことは 費っていうのは2つのもの、例えるものの カテゴリーが駆け離れてるほど面白さと 斬新さましてく。一方ではそれだけだめで 両方が上緒的感覚的なイメージ的な意味で は近いことが理解の要性を高めてその2つ の結果として皮膚の良さが高まるというの がこのモデルでした。それで、えっと 、もう1つ、ま、皮膚の理論っていうのが あって、費ってだんだん使われてくると 何々のようだっていうようなことが言われ なくなってくる、ま、因の形式になって くるっていうことがあります。で、ま、 例えば笑顔は太陽だっていうのはかなり もう使われていて観葉的になってる皮膚で ようだと言わなくても分かると思いますが 、それはどうしたかって言うと、太陽って いうのは、え、こうカンカン照ってる太陽 そのものではなくって太陽で代表される 明るいっていうもので、え、代表される 特徴のカテゴリーを絶は示していて、その 中に明るい笑顔が入るというのがこの皮膚 の考え方なんだっていうのが累法癌理論と いうものです。つまり太陽で代いものの カテゴリーに笑顔が入るというような考え 方が累法管理論です。で、この理論に 基づく研究がこれで、ま、例えばIって いうのは単独で出されると評価は ニュートラルで、え、力量性はちょっと上 です。で、愛は海のようだってに例えると 愛は深くて大きいものとして捉えますし、 愛は沼のようだっていうとドロドロし たっていう評価がこうどっちかっていうと こう、え、そちらのネガティブの方にね。 で、愛は格差だって言うと、ま、また別な こう、これはポテンシの地が小さな、あ、 ピッチポケな崩れやすいようなものと例え られるっていうことで、このそれぞれ海で 代表される大きなもののカテゴリー、沼で 代表されるドロドロしたものカテゴリー、 そうしたものにこの愛が入るというような 表現によって愛の2っていうのが違った形 で、ま、捉えられるってことがこの研究で 明らかになったことです。 じゃあちょっと、え、あの、お話は、えっ と、状況感覚的な意にもう1度戻るんです が、じゃあなんで例えば、えっと、先ほど 言った例えば心とって全然違ったものが ドロドロしてるとか深いということで 結びつけることができるのかっていうと、 その背後には共感覚的な意味、つまり感覚 を超えて共通するような意味があるんでは ないかということを考えました。で、え、 例えばこう死理学っていうのはこうした こう次々と言葉を出してこれがどの程度 理解可能かどうかを評価してもらう実験 するんですが、甘いってこう理解できます よね。甘い音って言うとどうですか?え、 味覚そのものはしないけど理解可能ですよ ね。ただ明るい味って言われると皆さん どうですかね?ま、こういうものが共感の 表現なんですが、共感は音楽を聞くと色が 見えるとか、あるいは字を見ると生きとし たこう色がついて見えるとか、そういうの が共感者にあって、非常はあの非常に 少ない、え、2%とか3%とかそのぐらい しかいないもので共感価非常に稀れです。 たら一方で甘い音っていうのを聞いて、ま 、理解できたり柔らかい音もそうですけど 、私たち大多数の人は共感覚的な費っての 理解できます。ただ一方ではこう明るい味 って言われても、え、そうした共感表現は 、ま、理解できないってことがあると思い ます。で、この2つには共通のメカニズム とか連続性があるのかどうなのかっていう のが1つの、ま、ポイントです。また方向 性があるのかどうかということです。で、 え、感触、味、匂い、色、音などは、ま、 互感と言われますが、互感は私たちの身体 や具体的な近いものとの接触に結びつく金 感覚とそれから色とか音のような遠くに あるものを認識する比較的小度の高い円 感覚ってのはあるんですが、共感っていう のは感触例えば柔らかいとか温かいとか、 え、そうしたものが他の感覚に転用される 。柔らかい味とか柔らかい匂とか柔らかい 色とか柔らかい音って言い方はしますが逆 に例えば明るい感触とか明るい味とか 明るい匂いっていうな言い方はあまりしな いってことがあると思います。で、これは 言語学者たちが、え、辞書を作る中で それぞれの言葉がどういう風に転用されて かっていうのの時間系列で見ていくと、 やはりこうした異膏性があ るっていうことを、え、教事的と言います が、同時ある時代の中でそのある人に、ま 、表定させた時でも明らかになったという のがこの研究です。で、さらに死に学は なぜこれが成立するのかっていうのが大事 な問題で、え、それぞれ、ま、あの、言葉 の意味というのを、ま、解いとそれから 強弱というそうした次元の中でそれぞれ 位置づけることができるんだ。例えば 柔らかい感触っていうのは貝で弱い。 柔らかい味も貝で弱い。柔らかい音も貝の 方向で弱い音。柔らかい色も貝な方向で そんなにこうどぎつくない色ということで これらを見てみると、え、1つは貝不快の 次元よくヘドニック感情って言いますけど 心地よさとかそういうものに関わる感情が 売ることで例えば柔らかいって意味は感触 だけでなくて味や音や色にも使われもう1 つは強度というこれは刺激強度による神経 系の発火の増加がまさに関わってくるん ですがどの感覚にも強度の事件っていうの があってその強度の弱さっっていうのが 柔らかいっていうのは共通して るってことです。一方で例えば刺すような 感触、刺すような味、刺すような音、刺す ような色っていうのはこれは強度の強さを 、増し示していて、だから、ま、転用が できるってことです。じゃあこうした共感 と共感者っていうのはどういう関係にある のかっていうのを見てみました。で、共感 の経験頻ン度っていうのは文字や数字に色 がついて感じられますかとか、月や曜日に 色がついて感じますかとか、音を聞くと色 を感じますかとか、そういうのに関して 経験があるかどうかを聞いて、それと様々 な共感の理解の可能性の相関をコンマ40 中程度の相関か、もう1つはこれは主観 表定ですので共感連合というのがその人に あるかどうかってことで、例えばピアノの 音を聞いてどんな味がしますかとか、石鹸 の香りを聞いてどんな味をしますかって 答えてもらっでですね、もう1回、えっと 、聞いてそれがどのくらい一致したかで 共感連合がその人の中でどのくらいこう 強庫にあるかっていう風にで、共感覚を 持ってるかどうかを調べる気がしました。 普通の人ですとこういうのを聞かれると、 ま、経験がないとか、え、そういうような 回答も多いんですけども、共感の人は2回 表定させても一度が高いんですね。それを 見ると共感連合課題と共官費の相官は コン魔3などとまこれとほぼ近い結果が あって共感の背後には共感というものが あるのでないかというのが私たちの グループが考えたま現在ちょうどこれは 去年学科で発表したものですがこうした ような研究をえ続けていますからもう1つ 費の中にはあまり有名ではないけれども よく使われてる費として勧誘というものが あります。で、カ油というのは例えばあの ポニーテールが目立つ症状に対してポニー テールったりメガネをかけてる人をメガネ と言ったり、もちろん赤シャツの人を赤 シャツといったりするようなそうしたある 場面のシーンとかあるいはスクリプトと 言われている、え、台本の能で語られる ような自系列の中での近接性に基づいて、 え、表現されたものです。で、例えば 眼ガネを拭くといった場合、眼ガネを吹く んじゃなくてレンズを拭いてるわけですし 、夜間が湧くと言っても夜間が沸くわけで なくて、夜間の中のお湯が沸てるわけです けれども、それが例えば眼鏡ネを吹くと 言ってそれがレンズ刺すとかお刺すって いうのは文脈があれば非常に高い頻度で それがあの例えば、え、メガネと言って レンズっていうのを連想するのは15% ですけども、え、眼ガネを拭くといえば レンズっていうは、ま、23%が連想され るっていということで文脈の中で置かれる とその指示対象が一時的にこれは連想順位 で示していますけど1位でえ連想されるて いうことになります。また定のはこれは カテゴリーの中であるものが、ま、代表 する関係を持ってるかどうかということ ですけれども、例えば今ですと花といえば 梅を挿す。え、4月になれば例えば花と いえば桜を刺すということでカテゴリー 全体でその中の最も典型的なものを刺す日 ですけれども例えば白いもって言っても 連想は様々に広がりますが白いものが降っ てくれって言えば雪を刺しますし、白い ものが頭に混じるっていううと真白を刺す というような形で私たちは文脈によって、 え、この上位の子から貝のものっていうの を一義的に指すことができる。これは、ま 、カテゴリーの方が関係に基づく費という ことになります。で、もう1つ、ま、比の 考え方として、認知原語学が出された考え 方として、ま、概念費という考え方があり ます。よく、ま、議論は戦いだと言います けれども、ま、議論と戦いっていうのは敵 がいてそれが相手がい、武器は証拠だっ たり、勝利はロパすることだったり、 あるいは戦略とか陣地っていうのは、え、 これは議論の場合どうなるだろうかって 考えて議論というものを戦いと捉えてそれ に、ま、勝利するっていうな目標に向かっ て進むことがあります。で、戦争での例え っていうのは例えばあの日本語では別な役 をされますけれども、例えば新型コロナと の戦いなんていう日が当時は使われました けれども、それはこう医療従事者が最前線 にいたり、あるいは、え、そうした非常時 だからということでいろんな知識を求め られたりってことでまさに戦いの比っての が疲れてた時代がありました。で、戦いの ヒにはそ、こういうことを見てみると、 えっと、ある経験を別な経験領域で、ま、 捉えるとこで無意識的にそれが使われて いる。そしてそれを使って様々な類水が、 ま、働くっていうなことがあります。 例えば愛は戦いであといえばアタックする とか争うとか略奪するとかそんなような ことで愛が語られるわけなりますから 例えば大学生ですね愛についてのを作って くださいって言うとこれは人によって えっと愛は熱であるかいものであ力で あしいもの例え人もいれば壊れるもので あるいは難問であるっていうに例える人が 様々います。で、じゃあこうした概念費 っていうのは一体何によってそれぞれ違う のが作られるのかっていうので私が調べて みたのは1つは経験の多さです。えっと、 恋愛経験の少ない人は例えば愛は消えると か壊れるっていうのが経験の多い人に比べ て圧倒的に多かったり、あるいは恋愛経験 の多い人は愛はコントロールが不能になる と沼とか麻薬とかそういうのを開け るっていうことで経験が多いか少ないかで それを語る愛を捉えるメタワーが違って くる。あるいは規範も強いっていうのいい んですけど、恋愛の規範って様々あるん ですけれども、1対1だとか、あるいは 相手を尊重するとか、え、あるいは先取り 特権みたいなようなすでに付き合ってる人 がいる人にアプローチしたいけないとか、 いろんなこう恋愛の批判ってのをたくさん 持っていて、それを厳しく自分に当てめ てる人はこう愛を束縛のようなものとして 捉えるとか、そのような形で持っている 信念とか行動っていうのが、ま、ヒを決め 、ヒが、ま、行動を決めて るっていうことがあるというようなことが この結果分かりました。からもう1つ、 えっと、日枠でされたはイメージスキーマ 理論っていうのがありまして、喜びが 込み上げてくるとか悲しみが沈むっていっ た上とか下っていうのは私たち嬉しい時は 飛び跳ねたくなるし、悲しいとだんだん こう縮まって寝込んでしまうってことで 経験基盤というものので上下様々な表現が こうした形で語ります。あるいは怒りが 爆破するってような心のような入れ物が こう爆発するようなイメージで捉えること があります。それが様々な日を作ってい るってことです。で、例えば実際悲しみっ ていうのを絵で書いてもらうと、多くの人 が下向きのイメージを書くということで イメージスキーマっていうのは実際捉えど のないものですけれども書いてもらうと、 ま、実証するっていうことがこの研究の 結果ました。で、皮膚研究は、えっと、ま 、私が始めた時期から様々な形で展開して いますけれども、注目席1つの理論として 、え、遅い皮、早い比由という考え方が あります。で、先ほど話してきたような、 私たちが皮膚であることが気づかないよう な、自動的に処理されるような観的な皮膚 ともう1つは遅い皮膚と言われている、え 、例えば形で2つを結びつけた新しい皮膚 でそこから類水をしたり比較をしたり、 あるいは例え話とかで語ったり、あるいは 人を説得するために使うという遅い処理の 比っていう2つがあるんではないかって いうのが、ま、意図的な理論という最近な 理論の1つで、これは思考の後で説明する 二重家庭理論というものとも、ま、 結びつく考えたりだということができると 思います。で、ま、生成合が進歩してきて 驚くべきことは、え、認知理学者も人口 知能の言語所有たちも一生懸命費っていう のを理解することが難しいということで、 その、ま、認知モデルを作ってきたんです が、え、生成愛を使うとあっという間に費 を生成したり解釈することができるという ことが分かりました。例えば三夫の美と いうものは何て言ったらいいか?虫歯の ようなものなんだ。下が引っかかり自分の これって結構解釈が難しいですけども、え 、チャットGPTの4のオムニで、え、 解釈をさせるとですね、え、B1芝だと いうことに関してこの今色々解釈をして くれる。ただちょっとちょっと変、え、 ちょっと変というところもありますけれど も、しかしあのなんとかこう解釈をして くれることがあります。つまりセ正案の 出力っていうのは記号設置、ま、身体の 基盤がないために単なる、ま、記号上の、 え、連想頻度というか連合の結びつきに よって出てくる言い換えに過ぎないという 批判がありますけれども、ま、そこそこの つまり認知モデルの認知研究を全然知ら ない生成が、え、えっと、解釈をしてくれ るっていうのは驚くべきことですけれども 、こうした時にまさに大事になってくるの は、ま、人らしい費の言語の理解とは何な のか、解釈とは何なのかっていうことを 実験的に検証進めてい論を構築するっての ことは認知役の重要な課題ですし、ま、 個人差とか言語の使用の文化素とか社会的 文脈とかまさに身体をベースにした認知 プロセスや言語使用の換気を見ていくって いうのは今後の大事なテーマではないかと 思っています。で、そのこととも関わり ますけれども、私たちは皮膚とか類水を 使って、ま、知識を獲得して るっていうのは1つの、ま、大事な視点だ ということができると思います。まずは 類似性ということで、え、似ているもの 同士を結びつけてカテゴリーを作ったり、 その中で典型的なものを乱出したり、 あるいはある種のこうパターンを見つけ たりルールを生成したりってすのは類似性 の原理というものが働いてますから、もう 1つは、ま、近接性、それは空間的に近く にあったり、時間的に連続した りっていうことで私たちはそれによって、 え、連想で結びつけたり、スクリプトと いう自系列の順序での台本のよう知識を 作ったり、あるいはストーリーで語 るっていうのはまさに時間的、空間的な 連続性によって語ることだと思います。で 、そこには目立つものっていうのが 手明かりになって、それによって、ま、 作品、インデックスがつけられて後から、 ま、引き出されるっていうことがあります 。そしてその2つによって金性っていう 近くにあるものが反復されることでその穴 が結びついてそしてそれは手垢になった後 で検索されますし類似してるもの同士は 連合して似ているもの同士で反化していく ま応用されていくってなことがありますし そこからパターンやルールが見出されてい くっていうのがまさに人の知識の形成と いうことになります。として類事性や近接 性って非常にこう目標に応じて柔軟にあの 変えることができますので、そういう点で は柔軟に私たちは事例を探してきて 結びつけて解釈することができますし、 またある場面やある場所に行ければ私たち はそこにある情報によって思い出すことが できるっていう非常にこう強固な安定的な 手がかりは時間や空間のリセ性にあると いうことがあると思います。で、それに 基づいて知識がどういう風にできるか見る と、まずは、え、近くにあること、似て いるもの同士がまとまりを作って、そして 、え、事例を作っていって、それは後でヒ とか類水を作るベースに、事例ベースに なってます。で、そこから何度も何度も 繰り返されるとそこの中から因果とか カテゴリーとかそうしたまとまりができて 、ま、プロトタイプという典型的な例が そこからできて、それを使って推論する こともできます。さらに複数の典型的な 事例が集まってきて、それらの関係から ルールっていうものを、ま、統計的に導い てルールに基づいて推論することができ ますし、そうしたルールが集まるとモデル あるいはこう理論というものを作って、 そして、え、モデルを作ってモデルベース に私たちは考えてくことができ るっていうことで、そうした近接性や類事 性っていうのは私たちにとっては非常に こう重要な知識を優る鍵になって るってことが言えると思い で、ここで1つ私たちの記憶の中の現象と して不思議だけれども、え、日常的な現象 として、ま、デジャな現象について話をし たいと思います。で、ヒっていうのは目の 前にある対象に関して知識の中の典型的な 対象、ま、例えば美しい人を見て花のよう だというのはまさに花で代表される美しい ものの、え、典型だということでそうした ことが語られるわけですけれども、 デジャムの場合には目の前の風景や目の前 に出会った人に関して私たちの知識の中 から典型的な真意や典型的な人物を 思い出してなんか来たことがあるような気 、なんかあったことがあるようにすると いうのが1つの、ま、デジャビュなのでは ないかっていうことで、メタファーと デジャってのは一見違う現象ですけれども 、類似性がその手がかりになってるの、 さらに近接性はそれを支えてるのではない かというのが私の考えたことです。で、 デジャは先ほど言いましたように初めての 場所とか初めて出会った人なのになんか 真金感とか懐かしさを感じる現象で、ま、 昔はえっと精神医学で主に語られ、哲学と か心理医理学でも議論はありましたけれど も頂上現象とか生まれ変わりとかそんな ような議論なんかも入ってきて長くあの 科学的な研究は停滞していました。で、 特に転換とか統合失張症でデジベを起こ るっていうのはかなり知られていて、実際 転換おさ値の経験率って0%か48%で かなり高いってことが知られていますが、 一方私はこれはなんか主観的なあの経験と してはですね、かなり経験頻度が高い日常 記憶減少なんではないかという風に私は 考えていて、え、94年ぐらいから研究を スタートしました。で、え、誰もそんな 研究やってる人がいなかったんですけれど も、ブラウンという人が、ま、アメリカで 、え、かなりあのデジャブに関する体系的 な研究を、ま、始めているっていうことが 分かってですね、えっと、日本にブラント マーシュという人をマネーと一緒に、ま、 兄弟デジャビュー国際セミナーなんかを 開いて、え、ここに来ている、ま、川部 さんなんか当時陰で一緒に参加してくれ ましたけども、ま、デジャブに関する科学 的な研究が、ま、できないかどうかって いうのをその時に、ま、議論したりしまし た。で、私がまず最初にやってみたのは、 えっと、デジェビってどんな場所で起こり ますかってことを聞いて、その時にどんな 資格的な手がかりがあったり、どんな 雰囲気を感じたり、どんな天候があったり 、どんな元経験と の累星がありますかって聞くと、え、これ は年6回以上4回2回、1回経験なして ですけど、これで積み上げてくるとこの辺 であるのが街並とか村とか公園とかなんか こう懐かしい場所であり何度も何度も経験 するような場所っていうのが比較的 デジャビを引き起こすっていうようなこと が分かりました。で、これらの、ま、研究 の結果から、ま、例えば私たちこうお寺 なんか行った時に初めて言った寺だって ことは分かっていてもなんかこのお寺来た ことがあるような気がするっていうのは ありますよね。それはどうしてかって言う と、え、Aというお寺もBというお寺もC というお寺も、ま、いろんなお寺私たち 行きますけれども、その中が中傷化されて 、そして典型的なお寺の光景シーンという のが私たちの頭の中にできる。そうすると 初めて訪れたとであってもその典型的なお 寺の光景と資格的な特徴とか雰囲気とか あるいはその時のこうあの天気とか気分と かそういうのがマッチするとま、デジャブ が起こるのではないかという風に考えた わけです。これ、ま、デジェブの典型性、 類似性モデルという風に私は名付けてい ます。で、ま、これらの研究と共にですね 、どんな人にデジブが起こりやすいの かっていうことで、え、懐かしさ傾向、え 、つまりデジャブが起こった時ってすごく 懐かしい気分が起こりますので、そうした そもそも風雪容良き時代に憧れる懐かしさ 傾向が高い人、あるいは初めて読んだ物語 から似た物語を思い出したり、あるいは 音楽を聞いた時似た音楽に気づいた りっていうのは類似性についての敏感性の 高さっていうこうしたものが過去の類事 早期つまり初めての場所でも過去に訪れた にいた場所を思い出すとかそういう傾向が 強いというなことがデジャを引き起こすん じゃないか。つまりこうした傾向の強い人 が初めて来た場所でもなんか来たことが あるような気がするっての引き起こすの かっていうのがこれがまジの敏感性がま デジャベの正近に及ぼすなことを言い出し たものです。で、こうした研究をしてる うちに私はもう1つこの懐かしさというの が、え、あまりこう研究されてない、ま、 不思議な現象なんではないかということで 、懐かしさ研究に、え、ここに、ま、来て いる先ほど司会をしてくれた松田さんや 杉森さんと一緒に研究を始めました。で、 懐かしさというのは、ま、様々に定義がさ れますが、私たち考えたのは懐かしさの 1番元は過去の頻繁な接触経験だろうと。 つまり何度も何度も会ってる友達とか何度 も何度も聞いた歌とか音楽ってものがあっ て長い空白期間があって久しぶりに会った 時に懐かしいという気持ちが強く起こ るってことです。ま、今日のこの日も、え 、OBの人たちがたくさん集まってますが 、久しぶりに会う人とっても懐かしい。 それは過去に毎日のように会ってたけど 長い空白期間があって刺身に会うと強い 懐かしさが起こるという風に考えたわけ です。で、そうしたことを調べるために これはテレビCMなんかで昔の懐かしい曲 がよく使われていますので、例えば昔何度 も聞いたCM、曲を使ったCMと懐かし いっていうのをどのくらい感じるかどうか 。これは男性、これは女性の年代ベスです が燃料こう絵に従がって450代からこれ が高くなってくる。あるいは長い間聞いて なかった音楽曲の支援も聞くと懐かしい。 これも年齢のこと上がっていくというよう な似たようなパターンを示していてこれは かなり当てはまると回答する率が高いと いうことが分かりました。で、一方皆さん どんな人が懐かしいでしょうか?昔の友達 というのはこれは20代から70代取って みるとこれは男性、これは女性ですがこれ は一貫して20代から懐かしいんですね。 皆さん、あの、昔愛した人っていうのは 懐かしいですか?で、男性女性見てみても 20代、30代は昔愛した人って懐かしく ないんですけれども、特に男性の場合50 代、60代、70代になってくると昔愛し た人の懐かしさの程度ってどんどん上がっ ていくんですね。ま、そういうように、ま 、この部分は男女さがありますが、え、 このようなことで彼によって懐かしくなる 人っていうのがあります。もう1つ皆さん はいつの時代が懐かしいですか?ま、あの 大学の研究室なんかは青春時代を過ごした 場所なので懐かしいと思う人がいいと思い ますけども20代30代40代50代聞く とどの世代に聞いても懐かしい時代はま歳 から22歳この辺りがピークになってくる というま20代の人はもうちょっと前の ところになりますがこのピークがあ るってことが分かりました。それをま、 レミニセンスバンプ、バンプってこうコブ のようなものですけども、事前的記憶って いう自分の、ま、過去の記憶って青年期は 懐かしいっていうようなことはよく言われ ますけれども、特に懐かしさ、懐かしいっ ていうのもやはり青年期だということが 分かりました。ま、人生の非常にこう、 いろんな濃密な貴重な経験をたくさんし てるからですよね。じゃあ一方、え、昭和 20年代、30年代、40年代とこ それぞれ年代の出来事を上げてですね、 どの時代があなたにとって懐かしいですか ?て聞くと、これは明らかに20代から 70代で差が出ます。昭和30年代 懐かしい時代として語られますが、昭和 30年代が懐かしいのは70代と60代で 、え、20代30代はこれは全然懐かしく ないということが分かりました。これは 先ほどのあのレミニセンス、つまり青年 時代が懐かしいということとも対応してい ます。もう1つ懐かしさには、え、 ポジティブなものとネガティブなものが あります。ポジティブな懐かしさは 懐かしいことを思い出すことによって癒し を感じたり、人との繋がりを感じたり、 幸福感を感じることですが、これは えっと一旦こう下がってからだんだん年齢 によって上がってきます。一方で懐かしい ことを思い出すと後悔を感じたり寂しさを 感じるっていうネガティブな傾向もあり ますが、これは年齢によってだんだん 下がっていきます。で、これは社会上的 選択性理論というエイジングに関する重要 な理論がありまして、年を取ると人は だんだんこう自分のリソースを上動的に 満足できる、自分がハッピーになれるよう なことに注目して、え、取り入れる。 つまり懐かしさということに関しても人は ポジティブな思い出や懐かしい思い出に 浸れることができるようなものを積極的に 思い出すというようなことが華によって こう高まっていくっていうことが分かった のがこの結果ということになります。 じゃあ、コロナの時はどうだっただろうっ てこと を2021年と22年で見たんですけれど も、特にこの場合には男性の40代や60 代に懐かしたのがポジティブ傾向っていう ものが上がり、女性もそう上がってきて ネガティブ傾向、ネガティブな懐かし 懐かし古いことを思い出してネガティブな 懐かしさを感じるっていう傾向は変化が なくて、ま、コロナだからこそ昔のコロナ じゃなかった時代こやして懐かしくな るっていう傾向が見られるっていうことが 分かりました。ボイベ傾向はこの方へ上昇 したということが分かりました。で、ここ までが、え、前半部分の、ま、 メタフォリカルマインドの流れについて話 をしました。で、後半は、え、 クリティカルマインドということについて 話をしたいと思っています。で、 クリティカルマインドということを考えた 場合、まずクリティカルンキングという ことを語らなければなりませんけれども、 え、クリカルスンキングいろんな定義が ありますけれども、ま、エニスという、え 、アメリカの、ま、教育学者、教育哲学者 が定義したのは、ま、何を信じ、何を行う かの決定に焦点当てた合理的で内政的な 思考っていうのを定義しています。で、 それにもう1つ、ま、新理学者として定義 を加えるとしたら基準なかの クライエテリオン、これは水論とか確率と かそういう基準ですが、それに照らして、 あるいは証拠に照らして論理的でバイソナ 思考を、ま、批判的思考というということ ですか、もう1つは内性について、え、 付け加える定義ですけども、日本で批判的 思考というと相手を批判する思考だと、 攻撃する思考だという風に捉えられて、 なんかネガティブなんですね。で、むしろ 大事なのは自分の水論家程を意識的に内省 する、ま、リフレクティブな思考というの が2番目の大事な定義ということになり ます。え、で、3番目の定義は目標思考的 なジェネリックなスキルということで日常 生活でも職業生活でも学校生活でも非常に 大事でネットやメディアの情報を理解し たり質問したり問題解決をする時に大事 ですし、ま、たくさん溢れる情報で情報 信頼性判断をしたり生成の回答を評価する 時にも必要です。特にジェネリックスキル という点では例えば21世紀スキルという アメリカのIT企業などが提唱したスキル の中の4つのシの中でクリティカル、 クリエイティビティ、コミュニケーション 、コラボレーションていう中で重視される ようになって、批判的思考はそれまでは そんなには重視されてる思考ではなかった けれども、非常に、ま、重視される思考と して位続けられるようになりました。で、 特に心理学者が批判的思考に関心を持つの は人の認知的な脆弱性と言われてるもの です。つまり人が思考や判断の倍などの 弱点がありますのでそれに継承を鳴らして 協力などに克服したいっていう時に例えば 様々な悪質情報とかあるいは後で話すよう なリスク認知の歪みそれから ステレオタイプによる偏見さらに社会の 分断とか意図的な心理操作という危険に 私たちはさらされています。その時に批判 的思考に関する、ま、研究っていうのは、 え、哲学をベースにしていますけれども、 知能とか性格の測定研究を応することに よって人の批判的思考の能力やスキルや 態度を測定して、そしてそれと共にどの ようなプロセスによって批判的思考が できるのか、さらにどういう機能を持って 例えば偏見とかバイアスですね、そういう のを抑制できるのかっていうのを解明する 。さらに教育学やあるいは看護学とか あるいはビジネスだとか様々な容器で批判 的思考が使われてますからそれと連携して 教育実践研究をしていくっていうことが 大事なテーマになってきます。で、批判的 思考を心理学としてどういうで捉えるの かっていう時に出てくるのが、ま、二重 システム理論というものです。で、二重 システムは私たちは、ま、自動的な精子と 言われている、あまり努力しないで、 そして自動的にヒューリスティックと言わ れる、ま、勘弁な、え、発見法を使って、 しかも上動や経験則に左右されるような 思考があります。これは非常にうまくいく こともありますけど、時として倍数を 生み出します。それに対して時間はかかる し、努力は必要だけれども論理的、分析的 な、ま、アルゴリズム的精神と言われてる ものがあります。さらにその上にメタ的な こうしたあの自動的な精神、この働きを 抑制してアルゴム的な精神の働きを目標 思考的に働すが内政的な精神というもので これがまさに批判的な思考のタイトルにも 関わります。で、この青字は私が書いた ものですけれども、こうした自動的な精神 に対して批判的思考によってこれを、ま、 コントロールする、適切な形で働くように するっていうのが批判的思考の役割だと いうことができると思います。重みに加え て、ま、下のびという人に書いた3部構造 モデルってものを適用したものです。で、 これはあの私があの提案したものですけど も、批判的思考っていうのは土台にあって 、そして、え、ఖ中の、ま、強化教育では 独会系、メディア系、情報系あるいはAI を使ったリテラシーを育成し、一方では 科学数学的ないわゆるリタラシーを育成し 、その上に、え、例えば経済とか社会とか 健康とか心理とか市民生活に必要な実践的 な知識としてのコミュニケーション能力 育成し、さらに大学では、え、 コミュニケーション能力のリテラシーを 基盤とした、さらにアカデミックに学ぶ リテラシーやリサーチをするリテラシーを 見つけていくってことが大切だということ を考えたわけです。で、これは、えっと、 批判的思考のWordマapという本の中 の、あの、前書きのところで書いたんです が、批判的思考を土台として市民 リテラシーと工事なリサーチや学問の リテラシーがあり、さらにそれが集合値と して社会の問題解決に使われることによっ て社会全体の幸福に結びつくというところ と、もう1つは個人の死として実践を 積み重ねながら実践値を形成し、さらにH によって個人の問題を解決していくって いう、ま、2つの側面があるのでないかと 考えました。で、批判的思考は、え、これ はエニスの考え方をベースにして、ま、 認知理学的なプロセスとして考えると思う んですけども、まず情報明確化して水路の 土台隠れた前提とかそういうのを明らかに して水冷を行って行動決定をするっていう プロセスがあり、それを支えてるのは知識 や技能というものです。さらに非認知的な 態度というものが支えていて、さらにメタ 認知によってモニターしながら コントロールし、さらに他の人と総互に 作用することによって私たちはこの内省を 深め、より適切な判断ができ るっていうことがあります。で、これらは 、ま、学力の要素とも関わってきます。 さらにAIが入ってくることによって 私たちは受方源としては生成Iの出力って いうものが入ってきますのでそれを適切に 見極めることも必要ですし、あるいは昔は 自分の持ってる知識やスキルを使っていう ものを、ま、AIに問い合わせることに よって、あるいはAIによって貸化をする ことによって情報を明確化したり、水路の 土台を検討することがありますし、また モニターする、例えば謝りをチェックして もらうとかそういうようなこともAIが できるようになってきました。また強調 作業ももちろん人同士の強調を支援して くれることもありますが、ま、例えば成に 質問して、え、壁打ちのような形で コメントをもらうようなこともできるよう になってくるってことで、だんだんAIと 人との付き合い方も変わり、またAIを 使うことによって批判的に考える、ま、 能力やスキルっていうのを高めていくこと が、ま、できないかというのが今私が考え てことです。AI時代に1つされる人の スキルとしてまず第1に上げられるのは 批判的思考だと私は考えてます。つまり、 ま、統計的な機械学習に基づくAIの能力 を保管するのが人による批判的思考であっ て前提や家庭に疑問を持ちバイアスを特定 して限界を認識して健全の判断を下して いろんな落とし穴を回避してく。で、そこ で大事なのは倫理的な思考スキルで倫理的 に導かれた認識、特に公平性あるいは バイアスていうものをチェックするのは人 でなければならないってことはあると思い ます。また機会を持たないような共感的な 知性やあるいは感情的知性っていうのは まさに大事な人のスキルですし、あるいは 人と強調しているスキルっていうものの 重要性も高まっていくと考えています。で 、ここで書たのは、え、ヒさんが、ま、 開発した批判的思考を支える態度の一部を 、え、改変したものですけども、ま、批判 的思考ってスキルとか能力を持っていても 十分に発揮されなくて、態度がなければ 問題解決場面とか独解とか討論とか必要な 時に発揮されないということがあります。 で、これで見てみるとまずは論理的な思考 や態度、それから探求心、それから、ま、 客観性か証拠の重視、それから、え、この 尺度の中にありませんでしたけども、熟量 とか帰り見るっていう性というのが大事で 、ストップアシンクと言われてるような 立ち止まって考えることが非常に大事だと いうことがあります。で、批判的思考態度 会社員教員看護師という、こちらは非常に こう熟達家の研究の中で調べたものです けれども年代横軸が年代ですけども、ま、 障害を通じて緩やかに、ま、上昇していく のが避難手思考で、ま、看護師なんかこう 割とこう上昇のカーブがあるとかからもう 1つ内性といった振り返りですね。例えば 自分の仕事あるいは教員の場合には自分の 事業の進み方を振り返って反省点を検討 するとかそんなような項目で作ったもの ですけれども教員の場合には最初の10年 でこれが非常に高まりさらに最後の10年 でまた高まってま、看護師の場合も同じと いうことが分かりました。つまり内政と いうのが人を成長させて、え、批判的思考 を高めるっていうのはこれによって明らか になりました。で、ま、こういうような 批判的な思考の、ま、理論や基礎研究を、 ま、どうやって、ま、現場で実践していく のか、特に高校生たちに批判的思考力を身 につけてもらうのは大切なことだと言える と思います。実はあの1990年代にです ね、批判的思考が大切だという風に高校の 先生たちに話をしたことがあるんですけど も、批判的思考いくらやっても受験には あまり関係ないし批判とやれるとなんと なく攻撃的に嫌な感じがしますねという ような反応だったんですね。ただ批判的 思考も2000年代に入ると、ま、先ほど お話したようなジェネリックスキルの大事 なものに位置づけられ、また、え、入手 などでもこう重視されるようになってきた という背景がありますし、また探球的な 学習って非常に重視されるようになって、 批判的な思考っていうのが非常にこう高校 教育でも大事になってきたってことがある とです。で、佐野高校ではまず1学期では 批判的校や問題解決の主を学んで2学期3 学期では、えっと、グループ研究という形 で例えば佐野京都ですけどもそれの中の いろんな、え、観光における問題点を 下げるとかそういうのを共通のテーマで 行って、そして2年生になるとこのラボと いうのに分れてグループ研究やって最後に ポスター発表して3年生なと個人の研究 特に理系のたちは進めるともに英語で高等 発表するというなことを行いました。で、 その中でまず調べたのが探球学習スキルで 、例えば発表のスキルなんかですと、 例えばあのここに掲げたような発表の時に 例えば論理的なレポートをまとめるとか、 効果的な発表を行うとか発表した後 振り返るとかそういうのは1年6月の時点 では、ま、半数ぐらい半数以下しか身に つけなかったのが3年生の1月。最後には 、ま、7割とか8割ぐらいの人たちがこれ を身につけてるって評価することが分かり ました。で、これらを例え今は発表法に ついて話しましたけれども、これを尺度に して、そして平均値で求めたものです けれども、2年生の、ま、7月と2月2回 取ってるんですけれども、2年生の それぞれが探球のテーマに取り組んできた 、え、時期というのが非常にこう伸びて いるということがこれによって、え、 分かりました。え、つまり、え、探習が グループ活動によって進めるその時期に、 え、探の総にスキルと批判的思考が、ま、 伸びてるっていうことが分かりました。 もう1つ、えっと、これは教育時戦 コラボレーションセンターの中の間として 、ま、西岡先生ともに、え、進めてきてる ものですけども、今日はあの、あの、尼崎 、あの、小田高校であの、お世話になった 秋山先生も来ていただいてますけども、え 、小田高校では実際に、え、国際探球化と サイエンスリサーチ化っていうのがあって 、ま、このような形で、ま、実践をこう 深めていって、そしてまずは自然探球の方 を1年で学び、そして自然科学探いうと いう中で例えばリサーチを進め、さらに それを高校生案にをしていくってそういう ような形で詰め上げていくんですけど、 じゃあこの織田高校のではどうだったかと いうですが、このような結果がいました。 で、こ、横軸があの学年ですね。縦軸がま 、探習スキルの評価ですけれども、えっと 、2016年からデータを取り始めたん ですが、これえっと入学年時によって だんだんこう上がってってんですね。 つまりこれは高校が実践を蓄積していく ことによってそもそも上がってる。で、 生徒さんたちも学年で伸びていく。そして 例えばコロナによる影響が19年度に入っ た人はちょうど20年、2020年に コロナがあってあまり探求活動を外に出て できなかった。そういう時期に当たって しまった学年の人はここで一旦落ちて しかしまたこう伸びてるそうした傾向が ありまた探球的な学習スキルと同じように 批判的思考態度も同じように入学が後に なるほどえ表定は高くまたコロナいる 落ち込みも同じように生み出されたって いうのことが分かりました。これは貴重な 実践ではないかと思っています。え、 さらに、えっと、もう1つ、あの 、教育学研究家にいたことで私は、あの、 比較教育の先生方や教育法の先生方と一緒 に例えば海外調査に行くというような機会 にも恵まれました。で、これはあのブタン に行った時の批判的思考教育や探球学習が どう行われるかを見たもんですが、舞は 未屋三脈の麓元の発展途上国ですけれども 、全教化英語を使って教育をしています。 そして仏教に基づく伝統的な価値観を重視 つつ変化する社会の中で対批判的に考えて 問題解決する能力を重視していて国家基本 法では知識批判的こう能力特会的責任が バランス良かったするっていうことを中視 したガイドラインを作っています。で、 私たちあ訪問調査した時に96人の中東 学校の7年から9年生の人たちに調査をし ました。で、ま、ブータンはこんなあの病 の町ですけれども、え、伝統的な建築で 回廊があって、その回廊のところで ポスターを貼って、え、発表してるという ようなことです。え、ま、こうした、あの コンピューターなんかも備えられてし、 いろんなとこにポスターが貼ってあります 。で、これを見てみるとプタンのことか 日本のあの中学生を比較したものです けれども、批判的思考の例えばあの多くの 証拠を調べて判断する。これ 当てはまるはい当てはまるですがちの方が定回答率 高いんですね。あるいは言葉で言われたことをこうとめ直しみるとか思い込みで判断しないとか実質と意見を別するて暗的思考行の重要な部分ですが設さんたちの方がまたよりもや まジティブ 当てはまるものが高いという傾向がありました。 ただ変数の関係を見ると例えばじっくり 物事を考えるっていう熟量性が批判的思考 体制度に影響し、批判的思考が批判的なま 、学習対談に影響し、それが授業がよく 分かるとかテストで要請成績を取 るっていうそうしたコンピテン、学習の コンピテンに影響するというようなこうし た、え、因果関係パスモデルっていうのは 共通しているっていうことが分かりました 。で、私自身は、ま、教育認知学いは教育 学研究家っていう中で教育実践とかなり 関わりを持てた認知理学者ですけども、ま 、ちょっと振り返ってみると、え、私は あの学校の先生に、ま、昔からなろうと 思ってたって話をましたけども、えっと、 倫理社会、社会の教育免許を取るために、 ま、教育実習に行って、そして全日の投稿 代では教職家程を担当して発達と学習とか 進路指導とかそういう事業を持って代の グループ、え、栗山さんとか斎藤さん、 ウイさんなんかとは振動の意思決定研究と かあるいはプログラミング教育の研究 なんかを今も続けてます。で、兄弟に移っ てからは批判的思考教育の研究を始めたり 、探の実践研究を始めたり、海外調査に 行ったり、あるいは滋賀の鈴木丸子さんの グループなんかと科学コミュニケーション や科学リテラシーの研究も進めることが できました。で、もう1つ、ま、この中で 私が非常にこう、え、印象に残る出来事、 ま、特色入試というのを始めたその実施や 追跡調査をしたことがあります。ここに いらっしゃる石岡先生や先生のことを進め た、え、ものですけれども経研究2016 年10月から始めましたけども、一般入手 では評価が難しい力として総合的な学習、 探球の時間で住め上げたような探球の正解 、探求力、論理的、コミュニケーション 能力を、ま、評価するってことをめした。 え、今まで高校では批判的思考なんか いくらやってもそれは入心には結びつか ないということでかなりあの、え、どちら かというと批判的それほど大事でないと いう風に考えられてたんですが総合的な 学習の中で取り上げることでまさにその 積み上げられた力を評価しようってことを 考え、そして あの課題というのを3時間かけて解いて もらう問題ですけれども、これはサンプル 問題ですけれども、子供の遊びに関する 英語の資料とか国土交通省の講演の有の 統計資料とかあるいは子供と遊びの日本の 本の中の、え、ある1節とか子供のいる 風景の写真とか出して例えば公園から優雅 がなくなっていくってことを実際この資料 から検証したり子供が育ってきたために どういう遊びをデザインし、提供すれば いいのかっていうことを、ま、考えてもら うっていうな課題を出して、え、入手を 行いました。で、その結果、ま、入ってき た、あの、学生さんたちがどうだったか、 ま、これは入学直後の、えっと、質問士の 結果ですけれども、ええ、教育学部では 文系入試、理系入手の一般入手と特色入手 があるんですけど、批判的に考える力とか 、あるいは、え、ルールに基づいて レポートを書く力とか、 プレゼンテーション作る力と、 コミュニケーションを取る力っていずれも 特色入手で入ってきた人は一般入手の人 たちも、え、高く評価して、つまり特色 入試がうまくこう機能していて、そうした 人たちを、ま、取ることができていたので はないかという風に私たちは、ま、考えて います。で、ま、このような、あの、 私たちは、あの、実践ということについて 、え、もう1つ、ま、教員がどうやって こう成長していくのか、あるいは人がどう やって成長していくのか、そこに、ま、 批判的思考がどう関わるのかっていうこと で、一方では、あの、大学を出た後、 あるいは高校を出た後、社会の中で人が どう学習をしていくのかっていうことも 長期的に教育の効果として見ていく必要が あるということで、ま、塚化と実践という ことも私自身はもう1つのテーマとして 研究を進めてきました。で、熟達家って いうのは初心者が回る現場に入って経験を 積みながら、え、実践的な知識を身につけ て熟達者になっていくプロセス、長期的な 学習のプロセスを、え、熟達という風に 言います。で、死理学者は比較的実験室に 、え、被権者実験参加する人に呼んできて せいぜ1時間で学習をさせ るっていうことが思うですけれども、本来 学習って非常に長期に渡るものです。で、 え、例えば人が初心者から1人前になるの に例えば3年とか中堅者になるのにさらに 6年とかあるいはあ、いろんな白を 乗り換えて熟達になるっていうような、 そうしたプロセスってまさに障害に渡る ものだということができると思います。で 、例えばこれ私自身に当てまるのは 恥ずかしいんですけれども、まず、ま、 初期キャリアって研究者はまずは陰で研究 をして研究のスキルを身につけて、そして 助や除況ということで研究士の様々な運営 を学びながら学生を指導していくっていう ような土台となる時期がまさに、ま、研究 者としてのこの1人前になる最初の段階と してあって、中期キャリアでは、ま、講師 や準教授として、え、この時代はつば大学 が投稿代で過ごしましたけれども、初めて 、ま、ゼミを持って学生を指導してって いうような形で教育スキル、自分の研究 だけでなくて教育スキルを焼き、そして、 ま、兄弟に移ってからは教授、そして学部 省研究課長ということで今までと違った、 ま、管理のスキルっていうことを学んで いく中でそれぞれ壁があって、そしてこう うまくいかないことなどもたくさんあり ながら、なんとかこれ1つ1つは経験なん ですけれども、それでこう乗り越えてき たっていうところがあると思います。で、 私たちこの中で身につけていくスキルは どういうものかというと、ま、大きくあの カッツってのハーバード大学のあの計学の 先生ですけれどもそれが上げたもので 大きく3つのスキルがあります。で、1つ はテクニカルスキルと言われているその 分野専門的な知識でまさに仕事の パフォーマンスを支えているような手順な スキル、そしてその内容的な知識です。で 、それは経験を積むことによって、え、 蓄積されていくっていうものですけれども 、ただ時態が変化していくと昔学んだこと が使えなくなってしまって捨て去っていく アンラーニンニンググっていうことも必要 になってくるスキルです。で、もう1つの スキルはヒューマンスキルで、これはこう 人とうまくうやっていく、ま、対人処理の 、ま、能力と言われてるもので、これは 経験や華によらずかなりこう、あの、 スキルが高い人もいれば、え、そんな高く ない人もいるって結構個人差がある部分 ですから、コンセプチャルのスキルって いうのはなかなかこう獲得が難しくて複雑 な状況とか変化を分析して実際的、早々的 に開発したり批判的思考したりアイデアを こう概念化して こうビジョンを立ててそれに向かって進ん でいくようなそうしたように必要なスキル でこれはかなりこう熟達とかカレーによる 成長ってのが必要で若い人がいきなり持つ というわけにもいかないところがあります 。これは教員の例ですけれども市教員は 事業に関するテクニカルスキルを身につけ そして児童や生徒保護者同僚とこう人間 関係を作っていくヒューマンスキルそして 学級に関するビジョンを立ててみんなこう まとめて引っ張っていくような思います。 で、主任クラスになってくると強化や公務 のある範囲を任されてそれをうまく進めて いくテクニカなスキがありヒューマン スキルは学年組織とかそういうのをまとめ ていくようなスキ、高スキルとしては強化 あるいは学年に関するそのビジョンを立て て進めていくスキですし、校長やあ、共闘 副校長なのと学校運営に関するテクニカル なスキルを見つけ、そして学校組織全体を 運営するためのヒューマンスキルや学校の ビジョンをめるコンセプチャルスキルを 持っていくということで、こうした、ま、 スパイラル上に こう全てくものがこれらを土台にしてくの がスキルを発達すということができると 思います。で、スキルの獲得に関して教員 で見たものがこのようなものです 。まず初期の急速な発達というのは教員に はあります。ま、あの、事業を進める スキルとか生徒指導のスキルっていうもの もありますし、またヒューマンスキルでも 最初のうちは急速な成長があり、 コンセプススキルはややこれらに比べると 、え、成長が、ま、遅いということがあり ます。これらは自己表定を、え、したもの ですけれども、かなり、え、あの、一度が 、ま、高いというようなこともあります。 で、人の、ま、実践値を支えてるスキルは 、え、土台には批判的思考や経験から学習 する能力があって、その中でテクニカルな スキルを見つけてタスクをうまく管理し、 そして、え、人との関係を作るヒューマン スキルによって他の人とうまくこう マネージメントしていき、さらに自己管理 のスキル、メタ人認知のスキルで自分を こううまくコントロールしていって、 そしてコンセプチャンのスキルを 磨いていくっていう、ま、順序性があるの ではないかと考えられます。で、じゃあ どういうところから人が学んでるのかって 言うと、これは教員に関する質問で調べた ものですけど、一貫して高いのは自分の 経験から学んでるっていう人で、これは あの複数回答ありですが9割を超えて るってことがあります。つまり多くの教員 は毎日する自分の経験から、ま、学んでる から。次は先輩教員から学ぶってことで、 これは教員の経験年数がえっと5年ですね 、こ0年から4年、このぐらいまでは非常 に高くてだんだん下がっていくということ です。また校内外の研修も教員にとっては 非常に大きなリソースで、え、大体、ま、 70%くらい。これは割と教員生活全体を ついたり、専門雑誌や本で学ぶ人たちも かなり多いということがわかります。で、 私たちにとって大事になってくるのは都、 ま、ラーニング学ぶ方というのが非常に、 ま、重視されていますけれども、仕事上の スキルとか、ま、職場のルールとか監修 っていうのを学んでいくってことは非常に 大事なんですけれども、アンラーニングと いう特に環境の変化が大きい現代において は学んだことを捨て去っていく、企画して いく、棚下ろしをするっていうことが大事 だということが言えると思います。ま、 例えば時代になった仕事の知識やスキルや 職場なルールの監修のようなもの、 あるいは心するとその前の食会での仕事の スキルや知識や信念のようなものは、え、 捨てておかなければ、捨て去っていか なければならない、更新しなきゃないとこ れてないし、移動あるいは中途入社などし た時の以前の職場の監修などというのは 捨てていかなければならないことがあると 思います。で、えっと、アーラーニング道 っていうのが、ま、海外で開発されていて 、それの日本版を作って、これは今日来て くださってる、あの、松尾先生の家に入れ てもらって、ま、学んだことですけども、 これらを、ま、使って私は教員と看護師と 一般の会社員に関してアンラーニングが どう、ま、仕事と、え、年齢と関わってる かを見ました。で、アンラーニングの1つ の仕としては信念が変わっていくという ようなことを認識するってこととから仕事 の手順ルーチが変わってくことを認識 するってことが大事でこれらを合わせて アンランニング尺度っていうものを作り ました。それで明らかになったことは教員 の場合はまずアンラーニングがあ るってこと。つまり教員ってあの学生、 つまり、え、学生さんはあの長い年結をじ て小中広大という形で、え、教わってくる ことによって、ま、教員とは何か、教育と は何かっていうことを知っていて、ある 意味では熟他者であるんですけれども、 教師になった時に、ま、向こうに座ってる 側から教団に立つことによって考え方を こう180°変えなければならないって ことがあるんですね。ですからまず教員に なった人は非常にこうアンラーニングが 最初に起こる。そして、え、その後、え、 ま、徐々に上がっていくっていうような パターンで他のとは、ま、違うというよう なことがこれを見ると分かりました。また 看護師についてのデータも取ってるんです が、どういう病院に務めてるかっていう ことでアーラーニングのスコアのが違って いて、ま、特定企業機能と言われてるよう な最先端の医療をしている病院の看護師 さんほどアーラーニング、ま、個人として のアンラーニングと職場全体の アーラーニングが高くて地域医療になっ てる病院、それから診療上こう見てみると 、え、先端医療に取り組んでる病院ほど、 ま、看護師さんのアンラーニングっていう のが非常に高いというなことが分かりまし た。で、ま、これらをのまとめますと、ま 、教師の熟達化っていうことに焦点をして おいますと、ま、教師は、ま、本とか研修 で形式的な知識、本に書かれた知識を学ぶ ともに毎日の授業とか、え、自動性 付き合いで、え、実際の経験を積んで暗目 地があり、両方の知識を合わせて ラーニングともにアンラーニングをして ヒューマンスキル、テクニカルスキル、 コンセプトスキルという実践値を身につけ 、それらは批判的や内性、あるい経験から 学ぶ態度やモチベーションがこれらを支え てるってことがあります。で、自戦地と いうのは職場の仕事の場で身につけた、え 、ものでそれによってパフォーマンスが、 え、発揮されるというのがまさに熟達家な んですけれども、え、ウィズダムっていう のはそうした職場での経験を超えてですね 、カレー、年を取ることによって幅広い 人生の経験に基づく深く広い知識に裏付け られたものです。で、実践値がどちらかと いうと、え、個人とか、え、職場や企業の ためにこう、え、貢献することに関わっ てるんですが、Hは、え、個人のためだけ ではなくて社会全体の幸福とか、え、そう したものの実現のために使われるのがHと いうことです。で、実践値とA地を スタンバーグという知能死理学者が対した ものですけども、実践値の知識は、え、 知識を思い出したり分析したり活用するに 対してA地はその意味を考える、前提を 考える、限界を理解することになりますし 、プロセスとしては自線値を素早く正確に 行う自動化が必要ですけれども、A地は 自動化に解決すべき問題とそうでない問題 っていうのを理解するってこと。それから 実践値は効率的な実行が大事ですけども、 A地はバランスが大事だということ。 そして、え、えっと、実践値は曖昧さを どちらかというと排除しますけれども、え 、Hの方は曖昧さや人生の様々な障害を、 ま、理解する。ま、そうしたところがHと 10cm地の違いですが、しかし熟達化に おいては両方は連続している。つまり実践 値を積み上げていく先に、ま、英があると いう考え方を取るということです。で、 ウィズムってこうなんとなくこう漠然とし たもののように捉えられますが、1980 年以降のHの研究をレビューをしてみると 、1つは人生に関する実践的な知識で スロ円意思決定と関わって人生に関する 良いアドバイスができるとか、知識や スキルを提供するというような能力という ことで、ま、行動的に、え、それを、ま、 測ることができるっていうのが1つの考え 方で、これは後で説明する、え、研究の 流れですか、もう1つはプロソーシャルな 社会に向けた、え、行動でそして共感とか 利性とか構成感を含むのがエジだという 考え方がありますか、もう1つはとか自己 理解や内や盗撮感に関わるまさに批判的 思考に支えて分が大きいということから 不確定の理解対象かを調整して コントロール。その他様々な考え方があり ますけれども、まずこの1番目の考え方に 基づくHについて考えたいと思います。で 、Hっていうのは、え、人生経験を通して 青年期構に獲得される深い知識や理解に 基づく姿勢で、え、障害発達の到達線とし て考えられていますけれども、ま、定義や 測定が難しいということがありました。で 、バルテスらのグループは発候を使って 人生の様々な難しい課題を与えてその解決 の時にどんなことを考えなければならない のかってことを語ってもらうことで評価を 行うという手法を考えました。で、その時 の基準として考えたのがどのぐらい、え、 人生に関する事実知識、人の政治とか一生 とか社会の規範とかそういうことに関する 知識というものがそこに反映されてるか 法略知識という、ま、実践的な知識を人生 の様々な意思決定や、え、問題解決に 関するものがどれだけ含まれているか。 文脈知識っていうのは人生に関する社会 文化的歴史的個人的な文脈の中で時間って 喧嘩の中で捉えられているかから相対主義 っていうのは成果は1つじゃなくってそう いうの価値観とか人生の目標それぞれの 人生の目標の違いに基づくえ解決が考え られそれから最後は人生やその対処って そもそも不確定性があるというそうした ことに基づいてるかってことに基づいて 人生の問題解決課題をどうかで評価をし ましました。ただこれは非常に、え、採点 の労力がかかるもので大規模調査には 馴染みません。ここでまた私が考えたのが H知識度ということで、ま、バルテスラの 間に基づいて先ほどの熟達化研究で使った 自分は初級レベルなのか、え、まだ失敗人 からの手助けが必要なのか、一通りのこと ができる12万円のレベルなのか、 あるいは、え、自分でなんとか解決できる 中級レベルなのか、あるいは必要じて人に アドバイスができるレベルなのか、 あるいはあの積極的にこう高いレベルの アドバイスができるレベルなのかことを 自己評価してもらって、例えば人の性格と か行動にパターンする知識を持っているの か、周りの人と人間関係を作る方法を持っ ているのか、え、社会や様々な あの中のルールを理解してるのか、 あるいは、え、人によって、え、社会的 立場によって価値観考えが人生の違うと いう相対主義生かし人生のものが全て知る ことは難しいという不確定性とことについ ての理解があるのかってことについて、ま 、自己評価を求めるっていうことをやって みました。で、それに基づいてそれを、え 、会社員教員看護師で各年代ごとに見た ものがこのようなものです。で、実知識に ついてはどの職種も自分が身につけて るっていうレベルは他のものと比べると、 ま、低いのについて対して人生における不 確定性ということに関しては比較的自分は 、ま、理解してるっていうのもどの触手も 高いものが分かりました。そして、え、 教員と看護師を見てみると、ま、これらは 、ま、会社に比べるとややこう、あの、 自己表定が低いというなことも分かりまし た。で、これらが3つの触種で他の変数度 どう関わってるのかを見ると批判的思考 態度の高さの影響力はかなりあるからどの くらい自分自身を振り返るかっていうと いうものがまずはテクニカルスキル、 ヒューマンススキル、コンシャプスキルに 先ほど話した日のスキル影響してそして 特にここで見るとコンシャプスキルと ヒューマンスキルがHの知識の評価に非常 に影響してるっていうことが分かりました 。つまりエジの知識っていうのは単なる 仕事中の、ま、あの、専門的な、ま、 ノーハウ的な知識よりも、むしろこう人と の対人関係を調整したしていったり、 あるいはビジョンを立てて問題解決を 考えるようなそうしたスキルが英を高めて いるっていうのことが分かりました。 もちろんこう修行年数とか年齢っていうの も影響してますし、え、ビッグ5で言えば 解放性、え、が非常にこう影響して るっていうことも一方では分かりました。 で、ま、これらの、ま、研究を通して、ま 、批判的思考というのを、ま、小中高で 育成し、社会に出てからは熟達の家庭に おいて身につけるような実践値、さらにH の獲得、さらにその背後にある批判的思考 や政策の重要性っていうものを、ま、一貫 して捉えることが、え、で必要なのでは ないかということと、ま、長期的なスパン で見ていく。そして私自身も長期的にこう 同じ人をま、追ってくというような、ま、 データの取り方を、ま、していきたいと いう風に考えています。で、ここまでお 話してきましたけども、最後のテーマとし て、ま、リスクの問題について話をしたい と思います。で、日本では阪神の大震災、 東日本大震災という大きな震災の襲われ、 さらにま、コロナという非常にこう、あの 、みんながこう危機的な状態に置かれた時 に私たちが適切な行動ができるのかって いうのは非常に重要な問題でした。で、 その時にリスクの認知には様々なバスが 起こって、強い不安が人をリスを増幅させ て、そしてある意味では今から見ると誤っ た行動を引き起こしてしまうことがあり ました。そういう時にバーストのない適切 な判断がどうやったらできるのかっていう ことで、私自身はまずJCOの東海村の 原発の事故の時のいわゆるこうネガティブ なフラシバルメモリーの影響、それから、 え、その後東日本大震災のリスクについて 人はどう語るのか、そしてリスク認知の、 ま、時間変化を調べるような研究を、えっ と、海外の先生たちと一緒に、あるいは 日本の研究グループで進めてきました。で 、私が今取り組んでるのは福島原発1の、 えっと、食品の放射能汚染に関するものと 、それから、えっと、2000年から 始まったコロナに関するものをパネル データというの同じと繰り返しとることに よってどう変化していくのかを見て、特に スティグマと言われている被災一さんの 食品を返したり、あるいはコロナに感染し た人とかそういう人に関してネガティブな レテルを貼ってそこを避けるというような そうした現象をは、ま、リスク認知におけ る強いこう、え、不安が引き起こすもの ですけど、それを、ま、なんとか解消でき ないかってことを考えて、ま、二重 システム理論というものに基づいて考え てくようなことをしました。で、え、 コロナあの患者さんとか批判的、え、批判 、え、被災値の食品を解する態度は不安に よって促進されます。一方では批判的思考 態度やリスクに関する知識を持つことに よってそれが、ま、抑制され るっていうのを考えました。で、え、最初 に、ま、被災権、首都圏関西権って 1600人、え、1752人のパネルを 作って、え、14年間にわたって同じ人に こう繰り返し調査を実施して、現在も今 やってます。で、その結果明らかになった ことはどういうことかって言うと、え、 放射能に関する不安というのは6ヶ月から 取り始めたんですが、この1413年間 ですね、このデータは、ま、徐々に下がっ てきてる。そして赤い位置で示してる 被災金が高い。で、コロナに関してはこの 4年間でこの最初の不安の程度って放射能 と同じく高かったんですが、非常に速い スピードで下がってることもあります。 積極的に情報集める傾向もこのような形 下がってきて、ま、回避傾向っていうのも このような形で下がってきてい るってことが分かりました。え、放射能は 13年で、コロナは4年で、ま、リスクや 不安っていうのが下がってきてるんですね 、リスクが。で、それに対して、え、福島 さんの食品を回避するっていう傾向は、え 、前の時点での不安の高さが促進してい るっていうことが分かりました。一方で 批判的思考態度を持つことによって次の 時点の食品回避を、ま、抑制して るっていうこともこのデータは示してい ます。で、これはあの2023年の3月の データですけれども不安の高さが情報収集 を高めて職品を回避結びつけている。これ は被災産の職員ですが、メディアリテラし 、批判的資の高さがメディアリテを高め、 批判的、え、職品の回避を下げて るっていうこの同じパターンが、え、回復 したコロナ患者の人にあってもそれをこう 避けたいとかそうしたような回避傾向の ようなものはコロナの不安が高いほどそれ が促進し、え、批判的思考の高さが メディアデタを返してそれを抑制するって ことが分かりました。これらを、ま、見て いただくと分かりますように、ま、リスク リテラシー、リスクを読み解く能力って いうのは批判的思考のスキルや態度が支え ていて、それがメディアリテラシー、科学 リテラシー、そして統計的なリテラシーを 支え、さらにリスク情報を読み解く、 そして、え、適切な行動をするっていう ことに結びついているってことが分かり ました。で、え、今まで、え、私の今まで やってきた研究を、ま、メタフォリカン マインドとそれからクリシカルマインドと いう流れの中で、ええ、説明してきました けれども、私自身の1つの研究のテーマの 考え方としては、人がやってない研究を やるというなことが1つあります。で、 メタファーという、ま、マイナーなテーマ で私は出発しますが、最初はメタファーの 研究やっているというと、メダカの研究 ですかという風に聞いたこともむしろ メダカの条件付きやってる人のが新理学で はメジャーだった時代が昔はあったんです ね。で、ま、あまりこう、え、研究仲間が いない中で始めた研究がたまたま、ま、 認知新理学や認知原格を起こってかなり メタバーはメジャーなテーマになってき たってことがあります。で、それを現在で も続け、共感的の研究も今も続けてで、 デジャビュー、批判的思考、そして後悔の 研究、後悔っていうのは懐かしさと共に 起こる、ま、不思議な感情でもあります けど、えっと、投校代の上司さん、さらに 兄弟では小宮さんがさらにそれをあの、 国際的な比較研究まで、え、進展させて くれていますし、あの懐かしさの研究も 松田さん杉森さんとはめた事伝的局の係り では今陰の池田さんが、ま、進めてくれ てる。そして私には余き的ノスタルジアと 言われているノスタルジアって余き的な 部分もあって今日のこの日を後で懐かしく 思い出すだろうっていうのは余き的な ノスタルジアってあるんですね。で、私に とっても今日のこの日っていうのは後で 懐かしく思い出すっていうような良きが あるというよなことがあって、そうした ような現象も私は今関心を持って進めてい ます。また批判的思考が投票行動に及ぼす 影響っていうのは私、あの2010年から 毎回えっと衆議院、参議院の時には投票 直後の8時からオンライン調査をやってる んですけど、あまりあの発表はできてい ないんですけれども、人はどちらかという とこう直感的なこうものに基づいて投票を しがちで、え、どちらかというと、え、 候補者とか政党になんとなく期待をして 投票してしまって、政策をじっくり チェックして投票するというような人は そんなに多くないというな結果も導かれて います。え、またあの聖地巡礼現象なんか もこう懐かしさと関わるので、ま、米田 さんと一緒にこう始めました。で、私の もう1つの特徴は、ま、すぐにやめないで ずっと継続するということで、批判的思考 との関わりで言えば、ま、福島原発の放射 線のリスク認知というのは、え、14回目 の調査を今やってまし、コロナの調査も 合わせて同じ人たちにやって るっていうことで、ま、多くの人が研究を 途中でやめていきますけど、私は、ま、 続けたいという風に思っています。で、 最後にあの仮想空間を利用した、ま、 アバターを使った研究、えっと、美野先生 、え、あのメディア先体箕先生の一緒に 始めたものですけれども、え、当時、えっ と、はですね、あまりこう仮想空間やアバ ターってそんなには着目してなかった時に 、ま、野村総剣の人から、えっと、ま、 卒業生がかかってたんですが、誘いがあっ て、こうしたアバターを使ったこの空間の 中での、え、学習だとかあるいは医療に おけるが患者のサポートなどの研究を始め た研究があります。で、実際兄弟の私は 教育科学の英語の時間でもこれを使って 実際にこのアバターを使ったコミュニケー ションていうのをやって、そして、えっと 、大体学生さんってこう英語で喋るって 特に日本人同士で英語で喋るってあんまり 得意じゃないですけども、自分がアバター になってやる自分のが匿名であること、 相手が匿名であることていうのが積極的な 会話を促し、またあらかじめこう自分会話 を余してくるとそのアバターになった場合 の発限界数が多いというようなことが 明らかになりました。またが患者サポート のための、ま、コミュニティを、ま、作っ ていくとようなことで、ま、癌の患者さん になると外出ができなかったり、髪の毛が 抜けてしまったりして、あんまりこう対面 のコミュニティってあの患者の患者会って あるんですけど、そういうとこに出くん ですけども、それぞれがこう若いえっと アバターになってですね、そして毎回こう 自分の、え、好みの服を着て好みの アバターになって出てくるよって、こう、 え、年を取った参加者の人も非常にこう 毎回楽しで、え、参加できるっていうよう なことがありました。そして毎週1回、え 、1時間から1時間半ぐらいやってた。4 年間ぐらいこのチャットを売ってたんです けども、チャットを分析して、え、最初は 不安とか検帯に関する発言が半分ぐらい あったんですが、続けていくに従って会と か神話的な発がだんだん増えてくるとか あるいはあまりこう最初は差しさりのない 会話が多かったんですが、だんだんこう 自分の病気とか病情なんかもこう話して くるってことでこうお互いにこうええっと 開かれていくとかそういうような現象も この中で見つかりました。ま、アバターを 使ったコミュニケーション、仮想空間の コミュニケーションっていうのは私はあの 将来的にも非常にあの認知医学の大事な テーマですし、教育の活用っていうのが、 え、今後も必要になってくるかと考えてい ます。で、え、ま、これまで、え、私の 研究を振り返ってきましたけど、もう1度 、ま、教育認知理学ということに、ま、 立ち戻って教育認知学の未来について、え 、話をしたいと思います。それで教育人学 というのは1つは発達が軸であるという風 に考えてます。幼児とか小中大社会人 さらにま、高齢者までも視野に入れてい くっていうことが必要でそれぞれの認知と 発達というのは明らかにしていく。また 学習という面でも、ま、短期的な学習 もちろん大事ですけれども長期的な学習 っていうのを捉えてその効果を見ていく。 さらに1人1人は皆違いますので個人差を ま、解明していくというようなこと。 そしてさらにそれを教育実践に結びつけて いくっていうことが大切ではないかと考え ています。で、その中の現在の教育認知学 のテーマとしての大事なポイントは、ま、 一有の、ま、認知の脆弱性ということに あるのではないかと思います。え、やはり そうした私たち、ま、弱いところがあると いうのは一方では様点で私たちは様々な 情報や環境によって、え、私たちがこう 柔軟であるっていうこととも、ま、関わっ てくることの裏腹ではあると思います。 また柔軟であるからこそ様々な想像性と いうものがどういうものなのか。ま、生成 ômが入ってきた時の想像性ってのはどう いうものなのか。それを伸ばすためにどう したらいいのかっていうのを解決するって いうのは私が考えてる、ま、メタボリカル マインドにとっても大事なこと。一方では クリティカルマインドにとっても大事な ことだということが言えると思いますが、 もう1つは今の話に関わりますけど、人の 認知を生ますをはめとする技術や社会の 変化の影響っていうのがどういうものなの かっていうことと、それに対して有効な 深夜デザインがどうなのか、例えば小学生 に愛を使わせるってことは果たして、ま、 どうなのかっていうのはおそらく議論し なければならでもし、逆にも本当に大生に なった時はどうなのか。まだ私たちはそれ に関する実てのは少ないですから、そう いうことは考えていかないいかなければ ならない大事なテーマだと思います。 そして教育における、ま、AIの活用法と いうことを考えた時どういうものが適切な 活用法なのかということと、もう1つは、 ま、批判的思考、特に、ま、クリティカル マインドと言われているような証拠に 基づいて論理的に考える力をどう育成して いくのかっていうのは大事なテーマだと 思います。非常にこう綺麗なこう洗練され た文章が出力されますので私たちこう批判 的な思考って非常にこう発揮しにくいよう なところつまりすっとこう鵜呑みにして しまいがちなところがありますけれども そういう中でどうやって批判的思考を育成 していくのか特にあの情報を集めるとか あるいは文章を書くとかえそういう時に 頼った時に人の思考力とかあるいは分析 作成能力みたいのが低下してしまわないの かっていうのは非常に我々にとって、ま、 大事な問題であると思います。そしてもう 1つは、ま、批判、え、比有的な思考、 メタフリカルマインドです。生は、ま、 いろんな新しいものを生み出してくれる。 ま、例えばいろんな言語表現だったり、 あるいはいろんな画像を生成して新たな デザインのものを作ったり、間を出して くれるってことがあります。ま、人よりも 疲れを知らない、ま、たくさんのものを こう生み出してくれるっていう点では 私たちにとっては重要なツールではあり ますけれども、私たちの、ま、想像性って いうのを対価させないためにはどういう 使い方があるのか。また私が関心を持っ てるという点から言うと、え、 コンピューター生成は費を生成し、費を 解釈はしてはくれるけれども、やはり なんか変、なんか人とは違うっていう、 そこが一体何なのかっていうのは私たちに とっては非常に、ま、重要なテーマである という風に思っています。で、私の、ま、 教育研究の未来ですけれども、私はあの4 月からは京都大学の国際高等教育の副教育 委員長、ま、特定教授として引き続き、ま 、京都大学に努めることになりました。ま 、全額の共養共通教育を、ま、改革して いくというなかなか難しい仕事ではあり ますけれども、え、共養教育や共通教育 って学の専門教育と比べるとどうしても こうあまりこう重視されてこなかった。 また多くのあの学部の専門せ専門の先生に とってはどちらかというと一部の人たちに 任せておけばいいという風に考えられてき たところもありました。しかし、え、意欲 を持って入ってくる大学の初年時の人たち においてどういうような形で働きかけて そして学問に対して研究に対しての土台を 作るかっていうのが大事なテーマであると 考えてやりがある仕事ではないかと私自身 は思ってます。で、来年度から私が担当 するのは統合的複合科目、ま、大学で学ぶ という科目で、これは、ま、批判的思考に 関する科目を柱にして4つの証認通ゼみを 組み合わせ形で1時間の講義と1時間の、 え、ディスカッションを中心としたゼミを 組み合わせます。で、4つの人数ゼミは それぞれの各分野先生方がこれまで、え、 研究理に関する例えば、え、いろんな スキルを身につけるようなことをこう考え てきた、え、小人数ゼミというものを土台 にしていって4つのそれぞれの歴史を持っ た違う証人数ゼミを、ま、組み合わせて 合わせて、え、これまでは証人数ゼミだけ を取ってきたあ、ような科目構成だったん ですが、それと、ま、抗議科目をつげる ことによって一層、ま、学習効果が高める ことができないかっていうのが、ま、京都 大学が改革で進めてる考え方です。ま、 その中で私自身はま、で、こう京都大学で 批判的思考の講義をこうできないかという ことを考えてるので、そういう点では私に とっては非常にいい機会ではないかという 風に考えてます。そして批判的思考教育が 2年事項の学問リテラシーや研究 リテラシーにどう影響するのかっていう、 ま、長期的な効果っていうのを是非、え、 探っていきたいと思っていますし、また、 ま、最近、ま、学生さんのレポートって いうのがかなり生成杯を使ったものが増え てきてしまってる。ま、そういう中でどう やってこう適切な使用の方法ということを 促していくのか、ま、使わない禁止という ことはおそらくもうできない時代だと思い ますんで、その中でどうやって、ま、批判 的思考や有的な思考を、ま、育成していく のかっていうのは私自身の、ま、大事な 研究テーマとしてこれからも研究を進めて いきたいと思っています。え、さて、え、 これまで、え、私が属する、ま、教育認知 医学講座の、ま、奇跡と未来、そして私身 の、ま、研究の奇跡を、ま、辿どってき ました。え、まだまだお話ししたいことは たくさんあったのですけれども、え、それ はま、おいおい先生方とあるいは来て いただいて皆さんと区別にお話ができれば という風に思っていますし、また、え、本 として是非こう出版して皆さんにこう 届けることができればという風に思ってい ます。え、本日はあのご成聴いただき ありがとうございました。 に来ていただいた皆さん、そしてお世話 なった皆さんにあの心から感謝を申し上げ ます 。え、く先生、え、本日の、え、ご講演 いただきましてありがとうございます。え 、ご講演を通じて先生がこれまで取り組ま れてきた研究教育の奇跡、その深い洞 そして変わる情熱と改めて実感することが できました。え、先生、え、これまでのご に心より感謝申し上げます。ありがとう ございました。そして今後ますの活躍とご 協力をお祈りしております 。 え、では皆さんにつ先生の感謝を一言ずつじゃあじゃ声あ あです。 雨の時も、え、晴の時もご指動きます。ありがとうございます。 [笑い] では先生いのあの優しい笑顔でご指導くださいました。う 後ろめたいこともありましたします。 笑顔以外が思いなくない顔でありがとうございます。じゃん。 おお。え、折りに触れてこう勇気づける言葉をたくさんいただきました。田さんか。 え、過去の先生のご研究も未来からなさる先生のご研究も本当に楽しみにしております。これまで誠にありがとうございました。 え、それでは、え、させていただきます。 東者は、え、池田さん、それからさん、え 、そして、え、私と同じの、え、高崎先生 、え、そして私させていただき ます。はい、 ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 [音楽]