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身体の二面性と所有の意義

よしじゃあ3段落5と一緒にちょっとね 読んでいきましょうか 佳代さんじゃあちょっと 読んでいこうかある時は ある時は私たちの行為を支えながら私たち の視野から来て乗るときは私たちが出そう としている行為をもうちょっと止めようと 私たちの前に立ちはだかる こうした体の奇妙な表れ方は空 局面でも見出されるこれは例えば私たちが 何かを自分のものとして 持つ所有するという局面だ 何かを自分のものとしてあまりできると いうことである 時体は物を強烈な目を持つという形で所有 という行為の媒体とし て [音楽] つまり体は私が常に使用しうる期間である がその体を私は自由にすることができない 痛みが体の動かしてこう突然襲うこと あるいは体にも検体が訪れることに誰も 抗うことができない このことを存在と所有の 著者Gマルセルは次のような逆説として 捉えるつまり私が事物を 意のままにすることを可能にしてくれる が現実には私の今までならないという逆説 の中に彼は 古い異性のままにならないことということ の形而上学的な新品を見て取るのである さてとちょっとこれはかなり難解ですね ちょっとまあ何回というか 具体化するのがなかなか難しい部分であり ます じゃあちょっと丁寧に見ていきますか まず最初のね人間ですねある時は私たちの 行為を支えながら私たちの視界から消えて 前の文章のあれだよね 1の文章のまあ一番言い換えである私が 馴染んでいたこの身体はよりそしい異物と して迫って記載するっていうここの部分の 解析はほとんど前回やりましたので 身体っていうのは 存在しない等しい透明な馴染んでいたもの でありながら不調だった瞬間にめっちゃ 現れる邪魔してきますよと そういうそういう2つの側面を持っている という話をしましてその2つの側面の ちょうどそういう部分がここに書いてある わけだな ある時は私たちの声を支えながら私たちの 視野からは消えると つまり 支えてるんだけども私たちの 視野からは消えていると 縁の下の力持ちみたいな ね行為を支える存在でありながらそれその ものは見えていないと ある時はなそうおうとしてる行為を 押し止めよう 邪魔してくると して私たちの前に 立ちはだかる これはこの説明を前回したわけだよね でこうした身体の奇妙な表れ方ってのは さらになるほどさらに別な局面でも見出さ れる なるほどなるほどというかということは こうした身体の奇妙な表れ方 奇妙なこれ奇妙だったらこの 何を思って奇妙と言ってるかわかるかな この奇妙さっていうのは 矛盾した2つの側面を持っているっていう この 奇妙なという言葉の意味 この 奇妙さというのは 矛盾してるじゃないですか 行為を支えていて視野から消えてねでも そうじゃない時もあるよみたいな真逆の2 つの側面を持つっていうね 矛盾した 2つの側面 っていう意味で奇妙を つまり今から説明するのこれまた奇妙を 矛盾した2つの側面を持ってしまえ持って ますよっていう それは例えば私たちは何か自分のものとし て 持つ所有するという場面において現れます よと 所有するっていうのは というのはとかというのは結構重要な表現 でこれイコールなんで定義の表現なんで 結構答えだったり重要な部分になりやすい 必ず引きましょう 所有っていうのは 何かを自分のものとして 意のままにできるということであると 何かを自分のものとして今のままにできる ということ その時の 身体っていうのは 物を取る 掴むという形で所有という行為の媒介とし て つまり つまり 身体を私たちが随意に使用するしうる機関 であると 思い通りになるって言ってる 物を取る形で所有行為として媒介媒体とし て働いて つまり身体私がズイン使用する機関でが その進退私は自由にすることができないと 痛みが身体のそこかしこを突然 襲うことあるいは身体の検体を訪れること で誰も抗うことはできないと つまり僕たちは何かを自由にするために 身体を使うんだけどその時何かを自由に 使おうとする時に自由に使えるのが私たち の体ですよね なんだけどじゃあ 完全に自由にできるかっていうと自由に できなくて 突然痛みも襲ってきたりとか手が ブルブルって震えちゃったりとかそういう ことが起こると あるいは誰も抗うことができないと 今回の ケースで言うと ここが訴えるなってん いきなりだるくなって痛くなったりする ことを防げ ない海において私たちは自由にできません よって言った でしょ このことこの事って名前私たちが身体中 できないっていうことを 存在の自慢すれば次のような逆としたら つまりと 逆説的た場合にこれ矛盾っていう言葉と ほとんど同義語なので覚えてですね逆説 ってのは矛盾です あれそうすると 奇妙な現れ方の企業者と一緒だ ねつまり今 身体の 矛盾した2つの側面についてまず1段落に 段落で説明した後にもう地面ありますよね それが所有するっていう行為において現れ ますよって言ってる わけだじゃあこれは一体あのね僕たちは 何か物事を物を意のままに 操ろうとする時に自分の体は完全にあれだ よ 媒体行為の媒体として働いてる 使用する機関ですよ だけどこのことをなんだけどその痛みが 襲ってくるとなんか突然不調になること 自体防げないわけじゃないですか っていうなんか意のままになってるのが意 のままになってない意のままにならない ものなのかっていう そんな側面を持ってるんですよ これをつまり どういう矛盾として捉えるかっていうと 私たちが事物を意のままにすることを可能 にしてくれると 技術を意のままにすることを可能にして くれるとのその身体が 現実には 私の意のままにならない 2つのまたあれだよね同じだよねこの 2つの側面を持ってね 何かを意のままにするためにはそれが必要 なんだけどでも現実でもそれはそれその 道具自体意のままにならないよ そういう逆説の中に彼は 付随性不随意性のままならないということ の形状学的な神秘を見て取るのであると これは逆説の中にみたいな1個はどうでも いいよこれ 付随性ということ だからこの付随性という言葉は 意のままにならないと ね対してさっき 隋って言葉 随意に使用する機関であるって事があった よ ね なので 付随性 髄 つまり 身体っていうのが 随意になるっていう側面と不随意であると いう側面二面持ってますよっていうことを 言ってるんですよこの 段落全体で このことを 考え 棒線部っていうのを考えなくちゃいけない ということです 微妙に薄いと思うんだよねこれ 実際ちょっとやっていきましょうか 実際のところここだけでできそうな気がし ますから ね 行くよ いいから今回のポイントってどこにあるか わかる まず 棒線部は前後に延長する体重ね 棒線部は前後に延長しましょう で 延長した先に指示語がありますその時どの 時 何かものを所有するということよね所有 するとき つまり 何かを所有するということ= 意のままにできる 」っていうのは 私たちの行為を支えながら私たちの視界が あるけどこっちの場面だよね 何かを所有するっていうことは 意のままにできる これは視界から消えてる時の話だよね 前の問いから繋がってるわけつまり 透明な時ですよ 何かを所有するっていう時に何かは自分意 のままにしようとするっていう 時その時身体はどうなるかというと物を 取る掴むと持つという形で所有という行為 の媒介何か 意のままにするっていう行為の 媒体として働いていると つまりそれは 私が 隋に使用しうるっていう状態を意味してる わけ ちょっと図でも帰ってきましょうかつまり 筆者が言いたいのはどういうことかって いうとまあこういう私が行って 私をどう表現するか 私にしましょう 私というメンタル見てメンタル的存在が あってこの は自我的な意味でね自我的な意味における 私があって これが何か この私が 私が 働きかけると何かまあまあこれだと私何か 物を所有するって書いてあった な私がもの をしましょう で 所有できるっていうことは 意のままにするってことだね 私がこの物自体を 意のままにする つまり な状態にしたいとちょっとまず言い方変だ けどね分かると思うんで物を随意に使って 所有ってそういうことだ 隋に使えますよって言った時に例えば コップを持つとかなマウスをクリックする とかです そういうような時に私の 身体はどこにあるかって当然ここにいる わけですよね これが 媒体になってるわけ 皆さん 媒体ってどういう意味かわかります 媒体ってのは何かと何かをつなぐんですよ だから私とものをつないでるんですよ 私と私の私の私と物をつないだものになっ ていて 何かを伝えてるって事になるよ ね当然あれじゃない わかってきたこれ こういう時っていうのは私の行為を支え ながら私の視野が消えてる状態の時ですよ だから私たちの声を支えてないといけない んだよ ねじゃあ身体自身にじゃあ何かノイズを 発生させずポイントになるかっていうと 私たちが何か物を使うということが 身体が透明じゃないといけないってこと ですよ言ってしまえ この時私がこの物を随意に使えるという ことは私に 言ってしまえば 胃があるんですよ 胃があってこの 胃が 身体を通じてその ままと隋になるわけだよね 媒体として働いてるからここで阻害され ちゃいけないわけただ骨粉持とうとしてる けど手が震えちゃった後だってこの糸は もうコップに伝わらないわけだよねちゃう わけですよ ですからこの糸がその [音楽] 透明 に使うっていうことになります よねそうするとこの身体っていうのは 媒体であってかつさっきのねまあ問いの1 のね回答を使うんだったら 透明で無色透明であるということですね この 場合 透明で意識されない つまり 透明で意識されないそんな 完全な手段としての身体ですよ これだから前の 設問前の設問って感じだね こう前の問いであるところの 自分の色を出さない正常 意識されないもの 違和感とかそういったもの自分他者性が ないもんだね 馴染んじゃってる のっていう つまりこの 身体っていうのはこの自分の 意図を乗っけるための 透明な器なんですよ 透明な器を通じてこのにその意図がものに 綺麗に伝達されると データ送信みたいなもんだよね ずっと こっちこれがあれだよね 身体を媒体としてっていう ことだから 筆者なんて言ってるかっていうと物を取る 掴め形で所有という行為の媒体として働い てるつまり私の意図を乗せて対象物に対し て 伝えるその意図を実現するための 透明で意識されない見えないところから僕 たちの体を僕たちの行為を支えてくれて いる 僕たちの声を支えてくれている手段として 働いてるって言ってるわけ つまり身体私が随意に使用しうる機関で あると ついに使用しるって事はこの 随意このいっていうものを自由自在に 乗っけられるって事だ つまり物を随意に使うためには身体に他者 性だから持たせちゃダメなんですよもう物 を随意に使うためは身体もまた髄じゃない といけない 当たり前のこと言ってはいるんだけど だからこの ものの随意性みたいなものを実現するため には当然この 身体も 随意でなければならない じゃあ身体が随意であるということはどう いうことかってちょっと進退他者性がない とそれは前の文章から引っ張る前の問い から引っ張った透明で 意識されずに見えないところで 我々を支えてくれて 行為を支えてると こういうような形になってないといかんよ ねって言ってるけどなるほどなるほど がその身体を私は自由にすることができ ないよつまり自由にできないってことは さっきで 付随性だってですね その身体を自由私は 自由にすることができない で次のでさっき言ったように ここは全部 痛みが増加しこと云々かなとそのことを gマルセルというところの どういう矛盾として捉えてるかと でこれは 身体の 奇妙な表れ方 その表れ方っていうのは この矛盾した2つの側面を同時に持って いるということ 身体の奇妙な表れ方の別な例としては出 てるわけだな 筆者の 奇妙さのことを2020は逆説っていう 言い方で捉えてるわけ 矛盾だと つまり私が私が事物を意のままにすること を可能にしてくれる 私が事物を随意に扱うことをするために 必要な 透明で意識されない行為を支えてくれる 髄僕たちの意志をのせる手段 という言葉を受けてみるね この時手段として働い 当のものが 現実にはいいんじゃない意のままはなら ないでしょ だから事物を 意のままにするため 隋を実現するために必要な 身体が実は意のままにならないという そうなんですよねいろんな具体的事例が あるからわかるけど 身体っていうのは 物を随意に扱うために絶対に必要な手段で ある であると同時に全くもって 不随意な存在でもあるわけ この不随意であるっていう事と ずいずいな手段として 随意を実現するための 透明で意識されない行為を支える媒体とし てあるっていう この2つの側面は同時に持って るっていうのが 身体の不思議なところ 逆説の中に彼は 付随性意のままにならないことということ の形而上学的な神秘 形状っていうのはまあ一応形而上っていう のは何かっていうと 抽象的とかそういう意味ですね 英語で言うとメタフィックって言うんです よメタフィジーク フィジカルとかフィジックっていうのは 物理学って物理的なと思うでしょ要するに まああの目に見える現象ってことですよで それの上なのでだから結局ね 刑事か形而上っていう分け方をするんです よ 目に見える世界が経時会 刑事ってものの形がある ものがないっていうのは 形がないってのは 抽象的形而上ってことねまあどちらですよ これあのメタフィジックって言葉の略語な ので別に言葉自体にこだわる必要ないです ちょっとあんまり 馴染みがないかもしれないけど これは実証的なとかそういう意味ですね オブザーブとかね Xperiaとか近いのかな ので自分が看護がむずいけど実は ただの訳語っていう可能性も全然あるので 皆さんも 同じくメタファーとかねその辺の言葉が ありますけど も 今回問いには直接関係ないけど 早い 95 えーっと意のままにならないこと95億円 抽象的な哲学的なという 複雑なってコンセプチュアになってことね まあ確かにコンセプチュアルですよねその 具体的な世界では問題にならないんだけど 抽象的な意味例えば 身体とは何かみたいなことを考える上で すごく問題になってくるわけです よなかなか定義できなくなってくるんです よね だから神秘って言ってるわけ要するに哲学 ってコロッケだから今回の形而上学はだ からオブトっていうよりかは フィロソフィカじゃないかな アカデミックとかね アカデミックな意味で 身体を考える時にすごく不思議だよね くらいがいいんですねだからあんまり さっき俺がどうでもいいって言ったけど その通りでどうでもいいんですよ 誰かの引用だったりするのって 今回は フィロソフィカルなんで ぶっちゃけそこまでかなっていう感じがし ますね 参考までにと よしじゃあ えっとじゃあ今回 じゃあ皆様ちょっと 答え作っていこうか 今回所有の行為所有という行為の媒体とし て働いてるがどういう意味か これあれでしょおそらく 舞台が こっちとして 働いてるって俺は言いたい言いたいらした んじゃないかなってことでね だってこの後にがってあるわけですよ っていう 逆説があるからこれは棒線部の前後で青と 赤が対比されてるのよ 国の時括弧2って棒線みたいなところで 考えると私たちのここで支えながら消え てる状態ですよねと 透明ですよねでも自由にできないつまり 突然立ちはだかってくる これね不調みたいな 不調不調性というか犬なら 意のままにならない性みたいなものって いう部分も当然持ってますよねこれ所有の 時にすごい出ますよねっていうこと 身体の気分の現れ方ですよね 随意性と付随性っていうものを2つ 兼ね備えたかぶった 存在ですよねっていう矛盾した2つの要素 を持った問題であの存在ですよねってこと 言ってる今回は棒線部2の時 ですからこの青の方で書けばいいんじゃ ないですかね でそれで考えるとこのさ棒線部1っていう のなんか 反対だってない 問いの1っていうのは要するに不調 になった途端に違和感ゴリゴリみたいな話 じゃないですか逆に言うとこの防災の日 っていうのはこの時って調子いい時じゃ んついに使用しうるっていう風に書いて あるからね だから今回はじゃあ所有っていう例で考え た場合 身体が調子いい無職透明な存在として僕ら の意識されない存在として僕らの行為を 支えるっていう場合どういう風に表現すれ ばいいのっていう感じになってくる なるほどだからこれは 付随性との対比で書くんだけど 古い性に関してはもう1位で書いてある から書かなくていいわけ だから 随意になるということをなるべく棒線部上 のね言葉を使わずには 綺麗に言い換える形で考えるということ ですねなので今回は 問いの1が不随一で書くんだったら書いた のだとしたら 問いのには 随意性について書くということがポイント な 私たちの行為を支えながら 視野から消えていると それは所有という場面において 意のままに何かできるという場面において 現れる その時 僕らが何かを意のままにする時には所有と いう行為の媒体であると つまり私たちの何かそのねものに何か しようとするその行為 意図を 伝えるための手段であるみたい 意のままに使うこともできる手段として 使うことができるものなんだみたいな 逆にはこのものを何か言うこと聞かせよう としたらこの身体を意のままに扱う手段と して 存在するところは不可欠なんだっていう そういったことが書けるんじゃないかな これはいけそうな気がしますね やっていきますか はい先ほど言ったようにまあこれ今回は 問いの1とセットで考えるのがいいよねっ てね所有という行為の媒体として与えたら がどういう意味か70ステートで説明し なさいねとりあえずは主語から考えれば いいんじゃないですか 身体はですよね 所有とその時 身体が所有の行為の媒体として 働いてい るっていうのはどういうことかって書いて あるから 私がものを所有すべきですね 対象 を自分の 意図通りに 操るためには 操る時 とりあえずラフな回答ね対象自分の言った 通りに操る時 身体は 身体は別にそのいわゆる よそよそしいものとして現れないわけよ 無職透明な存在なんだなだから 視野から消えた状態だからただの 純粋に そのための手段 として の 実現を 支える 支えて いるこれ聞かんということは手段ってこと でね だから対象を 対象に対して 糸の実現ってことね所有という行為を実現 するとか書類という行為を実現するという ことは自分の意図通りの操ることだね対象 その時に身体は純粋な意図を実現するため の手段としてその 意図の実現を支えているということはもう 全部これでいいんじゃないかな 所有する もうちょっとちゃんと書く 対象 を所有するとき 身体は 身体は 純粋に 実現 こんなところかな対象 対象を所有する方がいいの名前とは使え ますから 対象を自分の意のままに所有するとき 身体は純粋にその意図の実技をさせる手段 として存在しているつまり邪魔してこな いってことだ ね そうなってくると随意に使用する機関で あってことねまあ期間かっこ付きやすから そのまま使うわけにはいきません この期間という言葉を手段という風に考え ましょう しか無職止めない自分の意図をただ 乗っけるためだけが伝えるための実現する ための無職透明な手段なんですよね 道具と言ってもいいかもしれない あとは 視野から消えてるっていう 期間っていうのはやっぱ視野から消えて るっていう事の 比喩でもあるんだよね 僕らさ例えば内臓って意識されないじゃ ないですか 結構前科も内臓の比喩出てきましたけどね だからこのやっぱ期間っていう言葉から やっぱり内蔵的なやっぱ不可視であると いうことを意識されない見えない 不可欠性もちょっと書きたいよね なので対象を自分が今のままに所有する とき身体は 実現を [音楽] 不可士の道具とかしますか 対象を自分の意のままに所有するとき 身体は純粋にその意図をその意図の実現を 支える不可避の道具として 存在しているということ これで期間内蔵的な 存在なんだってことを調子がいい時の内臓 なんだっていうことを表すことができるよ ね 肺とかね調子いい時の肺とか調子がいい時 の大腸とかそういうもんなんだぜってこと 言ってる わけこれで期間を表現できたんじゃない だろうか だからこれ結局随意に使用する期間って いうのは 意のままに 意のままに使うことができるんだけどその 透明な媒体なんだよ な期間だから 結局これなんですよ 試合から消えてる行為を支えながら私たち の視野から消えて 所有という行為を僕らの視野から消え ながら僕らの所有という行為を 支えているもので あると自分の糸の実現のための手段である んだけどもそれは目に見えないんだぜって いう知覚されないんですよ いいかなと 思います 書類の媒体として働いているっていうのは 対象にするとき の動物として 存在しているよしこれで完璧かなと思い ますねあとは実数数えましょう シロハート 2シロハート 324248 ということですね さて皆さんはどうだったでしょう